2010年03月16日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
委ねる
自分が壊れてしまう前に
とどまったのは
そのときたまたま代車だったから
(埼玉県・女性・61歳)
私は、夫の両親の介護を同時にしていたときがつらい時期でした。殺したいとまでは、理性が働いたのかそれはヤバイと思い考えませんでしたが、早く死んでくれればいいのに、とは毎日思っていました。
平成七年の一月、それまでの別棟の暮らしをやめ、介護のため立て直した家に同居し始めると、もともと脳梗塞を患っていた義父が急速に衰え、オムツをしてほぼ寝たきり状態になりました。ほどなく平成8年の始め頃から義母に認知症の症状が出始め、「父が具合悪くなり、入院してくれれば楽になるのに」と願い、実際にそうなると何とか母一人だけにになり、ホッとしたのも覚えています。
翌9年の二月中旬、娘の入学試験の最中に夫が心筋梗塞デ倒れた時は、絶体絶命のピンチでした。同五月に義父は特養に措置入所、義母は老健に入所し、、その施設料の支払いのため、、私はスパーのパートで働き始めました。
義父を老健から特養に移した時、夫の態度がおかしく、特養の受け入れ時の看護師さんに「ご主人どうされたのですか、奥さんも大変ですね。」と言われました。夫は身体が快復したのに精神がついていけず、まだ仕事に復帰できずにいた時でした。
義父を特養に送りとどけた後、たりない衣類に気づき、私は一人で届けた帰り、国道と交差するトンネル壁にぶつかればきっと死ねるだろうな、と一瞬思いましたが、とどまりました。そのわけは、その日は車を修理に出しており、自動車修理工場の代車を使っていたからです。
もし私が事故を起こしたら、自動車屋さんも困るし、夫の損保会社(勤務先)にも迷惑をかけると思ったのです。翌日、市の高齢者福祉課の担当の女性に話すと「それだけはなさらないで下さいね」と真剣に言われました。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
委ねる
自分が壊れてしまう前に
とどまったのは
そのときたまたま代車だったから
(埼玉県・女性・61歳)
私は、夫の両親の介護を同時にしていたときがつらい時期でした。殺したいとまでは、理性が働いたのかそれはヤバイと思い考えませんでしたが、早く死んでくれればいいのに、とは毎日思っていました。
平成七年の一月、それまでの別棟の暮らしをやめ、介護のため立て直した家に同居し始めると、もともと脳梗塞を患っていた義父が急速に衰え、オムツをしてほぼ寝たきり状態になりました。ほどなく平成8年の始め頃から義母に認知症の症状が出始め、「父が具合悪くなり、入院してくれれば楽になるのに」と願い、実際にそうなると何とか母一人だけにになり、ホッとしたのも覚えています。
翌9年の二月中旬、娘の入学試験の最中に夫が心筋梗塞デ倒れた時は、絶体絶命のピンチでした。同五月に義父は特養に措置入所、義母は老健に入所し、、その施設料の支払いのため、、私はスパーのパートで働き始めました。
義父を老健から特養に移した時、夫の態度がおかしく、特養の受け入れ時の看護師さんに「ご主人どうされたのですか、奥さんも大変ですね。」と言われました。夫は身体が快復したのに精神がついていけず、まだ仕事に復帰できずにいた時でした。
義父を特養に送りとどけた後、たりない衣類に気づき、私は一人で届けた帰り、国道と交差するトンネル壁にぶつかればきっと死ねるだろうな、と一瞬思いましたが、とどまりました。そのわけは、その日は車を修理に出しており、自動車修理工場の代車を使っていたからです。
もし私が事故を起こしたら、自動車屋さんも困るし、夫の損保会社(勤務先)にも迷惑をかけると思ったのです。翌日、市の高齢者福祉課の担当の女性に話すと「それだけはなさらないで下さいね」と真剣に言われました。
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2010年03月09日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
委ねる
自分が壊れてしまう前に
幼子のようにきれいな姑の笑顔に助けられ
(大分県・女性・60歳)
姑とは37年間の同居でしたが、認知症の症状が出始めて22年目に他界しました。施設入所はまったく考えていませんでしたので、ずっと最後まで、在宅でケアをし、看取りました。元気な認知症、暴走型(?)でしたので、その最後の頃が一番きつかったと思います。
夜中に包丁を研いでいた時(昼間は危なくて、そんなことはできなかった)、もし今後ろを姑が通ったら、私は刺してしまうだろう、と考えたことがあります。姑の起きる音がして、私の明るいほうへだんだん足音が近づいてきて、私の殺意も抑えきれなくなり、研ぐ手も止まり、姑がいつものように「何しよんの」!?」と普通に声をかけてきました。「うるさい!」と思いました。しかし、姑はいつになく優しい笑顔で私のほうを向いていました。まるで幼子のようなきれいな笑顔。
そうだ、私はこの笑顔と穏かなまなざしにどれほど助けれれたことだろうと思い、その時とめどなく涙があふれたことを思い出します。そっと姑を抱きしめました。
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委ねる
自分が壊れてしまう前に
幼子のようにきれいな姑の笑顔に助けられ
(大分県・女性・60歳)
姑とは37年間の同居でしたが、認知症の症状が出始めて22年目に他界しました。施設入所はまったく考えていませんでしたので、ずっと最後まで、在宅でケアをし、看取りました。元気な認知症、暴走型(?)でしたので、その最後の頃が一番きつかったと思います。
夜中に包丁を研いでいた時(昼間は危なくて、そんなことはできなかった)、もし今後ろを姑が通ったら、私は刺してしまうだろう、と考えたことがあります。姑の起きる音がして、私の明るいほうへだんだん足音が近づいてきて、私の殺意も抑えきれなくなり、研ぐ手も止まり、姑がいつものように「何しよんの」!?」と普通に声をかけてきました。「うるさい!」と思いました。しかし、姑はいつになく優しい笑顔で私のほうを向いていました。まるで幼子のようなきれいな笑顔。
そうだ、私はこの笑顔と穏かなまなざしにどれほど助けれれたことだろうと思い、その時とめどなく涙があふれたことを思い出します。そっと姑を抱きしめました。
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2010年03月05日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
委ねる
自分が壊れてしまう前に
自分が壊れてしまう前に
施設にゆだねてください
(埼玉県・女性・60歳)
認知症の母を介護して、2008年7月から15年目に入りました。初めの頃は母も75歳で体も元気でしたので、その分気も強く、語る言葉も聞くに耐えないものがありました。父も兄もなくなり介護者は私一人。教えても現実や危険なこと、不衛生なことも判断できなくなっており、日々の生活に疲れ果てていました。
つらくて現実から逃げ出したい。が、こんな悲しい姿の母を残してはかわいそうと思い。いっそ母と二人で死んでしまいたい、と考えることがありました。でも、日ごろ母が「自殺は卑怯」と言っていたのを思い出し、また、母の昔からの頑張る姿を思い出し、やれるだけやってみようと考えました。その時決心したことは自分の身体がダメになりそうだったら介護を施設に委ねることにし、それまでは頑張ってみようと思いました。
介護10年を過ぎる頃から、私の体調もくずれ始め、ショートステイ、老健施設、老人ホームへと介護が移っていきました。特別養護老人ホームですので外への散歩がなく、週に何回か行き、二人で手をつないで外を散歩しています。その時間は今の自分にとって癒しであり、生きがいにもなっています。母のところへ行かなくっちゃと思うと、家事も手早く済ませます。散歩のときの母の嬉しそうな顔も、自分を幸せにしてくれます。
あきらめないで下さい。少しずつでも必ずよい方向に向かっていきます。大切な親をみてもらう施設です。気に入ったところが見つかったら、何度も伺ってみてください。自分が壊れてしまう前に施設に委ねてみてください。自分が一杯になったらいさぎよく専門の人たちへお願いして下さい。
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委ねる
自分が壊れてしまう前に
自分が壊れてしまう前に
施設にゆだねてください
(埼玉県・女性・60歳)
認知症の母を介護して、2008年7月から15年目に入りました。初めの頃は母も75歳で体も元気でしたので、その分気も強く、語る言葉も聞くに耐えないものがありました。父も兄もなくなり介護者は私一人。教えても現実や危険なこと、不衛生なことも判断できなくなっており、日々の生活に疲れ果てていました。
つらくて現実から逃げ出したい。が、こんな悲しい姿の母を残してはかわいそうと思い。いっそ母と二人で死んでしまいたい、と考えることがありました。でも、日ごろ母が「自殺は卑怯」と言っていたのを思い出し、また、母の昔からの頑張る姿を思い出し、やれるだけやってみようと考えました。その時決心したことは自分の身体がダメになりそうだったら介護を施設に委ねることにし、それまでは頑張ってみようと思いました。
介護10年を過ぎる頃から、私の体調もくずれ始め、ショートステイ、老健施設、老人ホームへと介護が移っていきました。特別養護老人ホームですので外への散歩がなく、週に何回か行き、二人で手をつないで外を散歩しています。その時間は今の自分にとって癒しであり、生きがいにもなっています。母のところへ行かなくっちゃと思うと、家事も手早く済ませます。散歩のときの母の嬉しそうな顔も、自分を幸せにしてくれます。
あきらめないで下さい。少しずつでも必ずよい方向に向かっていきます。大切な親をみてもらう施設です。気に入ったところが見つかったら、何度も伺ってみてください。自分が壊れてしまう前に施設に委ねてみてください。自分が一杯になったらいさぎよく専門の人たちへお願いして下さい。
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2010年02月28日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
きっと人生の大きな宝物となって返ってくる
(三重県・女性・59歳)
三六分の九.分母は結婚歴、分子は夫のアルツハイマー病歴年数です。まったく予想もしていなかった人生を歩むことになってしまいました。待望のアリセプトも効力はありませんでした。最初の頃は先のことを案じるばかり。誰にも相談できず、暗い気持ちで過ごしていました。
そんな折、夫が接触事故を起こしたのをきっかけに運転をやめさせ、私の運転で帰宅中のことです。前方の大型ダンプが車線を間違えたのか、私たち軽自動車めがけて迫ってきました。私は瞬間、これで二人一緒に死ねる、と思い覚悟しました。本当にぶつかる寸前でトラックの運転手が気づいたのか、私の左側にたまたまあった待避所にすっとよけ、何事もなかったように時が戻りました。
あの出来事は忘れられません。そして神様に「もう少し生きなさい」と言われた気がしました。そのあたりで私の死にたい気持ちはおさまったような気がします。しかし、夫の病が進行するにつれ、徘徊が始まり、探し回る日々、。自分の死は考えなかったものの「戻ってこなくていいや、もう知らない」と、心配しつつ心のどこかで、いやな私がささやきます。後で自分を責めるのも嫌な気分でした。
四年前入院。それから一年して運よく新設の施設に入所できました。スタッフの方々にも恵まれ有難く思っています。毎日顔を見に行くのが日課となっています。長かった嵐の時期もようやくおさまり、今はやっと落ちつきました。今やっと、本人の立場に立って 考えられるようになりました。この状態が少しでも長く続くように願っています。それが私の支えなのです。
現在大変な思いをされている方、難しいかもしれませんが、ご自分を大切に少しでもチャンスがあれば、自分にとって楽しいことを考えるだけでも力になると思います。けっして悪いことばかりは続きません。介護を乗り越えたということが、きっと人生の大きな宝物となって返ってくる、と信じています。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
きっと人生の大きな宝物となって返ってくる
(三重県・女性・59歳)
三六分の九.分母は結婚歴、分子は夫のアルツハイマー病歴年数です。まったく予想もしていなかった人生を歩むことになってしまいました。待望のアリセプトも効力はありませんでした。最初の頃は先のことを案じるばかり。誰にも相談できず、暗い気持ちで過ごしていました。
そんな折、夫が接触事故を起こしたのをきっかけに運転をやめさせ、私の運転で帰宅中のことです。前方の大型ダンプが車線を間違えたのか、私たち軽自動車めがけて迫ってきました。私は瞬間、これで二人一緒に死ねる、と思い覚悟しました。本当にぶつかる寸前でトラックの運転手が気づいたのか、私の左側にたまたまあった待避所にすっとよけ、何事もなかったように時が戻りました。
あの出来事は忘れられません。そして神様に「もう少し生きなさい」と言われた気がしました。そのあたりで私の死にたい気持ちはおさまったような気がします。しかし、夫の病が進行するにつれ、徘徊が始まり、探し回る日々、。自分の死は考えなかったものの「戻ってこなくていいや、もう知らない」と、心配しつつ心のどこかで、いやな私がささやきます。後で自分を責めるのも嫌な気分でした。
四年前入院。それから一年して運よく新設の施設に入所できました。スタッフの方々にも恵まれ有難く思っています。毎日顔を見に行くのが日課となっています。長かった嵐の時期もようやくおさまり、今はやっと落ちつきました。今やっと、本人の立場に立って 考えられるようになりました。この状態が少しでも長く続くように願っています。それが私の支えなのです。
現在大変な思いをされている方、難しいかもしれませんが、ご自分を大切に少しでもチャンスがあれば、自分にとって楽しいことを考えるだけでも力になると思います。けっして悪いことばかりは続きません。介護を乗り越えたということが、きっと人生の大きな宝物となって返ってくる、と信じています。
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2010年02月24日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
殺さなくて、殺せなくてよかった、
とつくづく思っています (女性・59歳)
私は59歳、家族は、15年間入退院を繰り返している夫65歳、長女、長男、認知症の私の実母92歳とその連れ合いの義父84歳の6人です。母として二人の子供に一番必要な時期にも関わらず、私は実母の徘徊や問題行動の繰り返しに振り回されました。義父は自分の妻の認知症が理解できず、いつも母をガミガミ怒りたおし、母は怒られればさらに問題行動を起こします。朝、二人の異常なけんか声で目を覚ます毎日でした。
母の徘徊はどんどんエスカレートし、夜も昼も限りない義父の怒り声・・・・・。私はまず義父を殺したい気持ちになりました。大病手術の後の夫をかかえ、夫の看病もあり、生活費のために私もフルタイムで仕事をしていました。寝られなくても仕事とに出なくてはなりません。毎日毎日が地獄化していました。
義父が外出したら後から追いかけ、足げりをして横の川に放り込んで殺してやりたい!!問題行動ばかりの実母も早く死んでもらいたい!!こんな気持ちも娘、息子の寝顔を見たときにはおさまりますが、それでも毎日になれば、・・・・。今、義父も実母もホームに入所してお世話になり、まだそれなりに元気です。夫もいまだに入退院の繰り返しです。娘、息子は独立し、それぞれ家族もできました。私は相変わらず働き続けて生計を立てています。
いま、義父も殺さなくて、いや殺せなくてよかった。母には、寝たきりであっても一日でも長生きしてほしい、と願う毎日です。娘や息子も罪人の子とレッテルを貼られなくてよかった。夫の看病も私が同居してできてよかった。罪人になれば夫の看病もできずにいたろう・・・・とつくづく思っています。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
殺さなくて、殺せなくてよかった、
とつくづく思っています (女性・59歳)
私は59歳、家族は、15年間入退院を繰り返している夫65歳、長女、長男、認知症の私の実母92歳とその連れ合いの義父84歳の6人です。母として二人の子供に一番必要な時期にも関わらず、私は実母の徘徊や問題行動の繰り返しに振り回されました。義父は自分の妻の認知症が理解できず、いつも母をガミガミ怒りたおし、母は怒られればさらに問題行動を起こします。朝、二人の異常なけんか声で目を覚ます毎日でした。
母の徘徊はどんどんエスカレートし、夜も昼も限りない義父の怒り声・・・・・。私はまず義父を殺したい気持ちになりました。大病手術の後の夫をかかえ、夫の看病もあり、生活費のために私もフルタイムで仕事をしていました。寝られなくても仕事とに出なくてはなりません。毎日毎日が地獄化していました。
義父が外出したら後から追いかけ、足げりをして横の川に放り込んで殺してやりたい!!問題行動ばかりの実母も早く死んでもらいたい!!こんな気持ちも娘、息子の寝顔を見たときにはおさまりますが、それでも毎日になれば、・・・・。今、義父も実母もホームに入所してお世話になり、まだそれなりに元気です。夫もいまだに入退院の繰り返しです。娘、息子は独立し、それぞれ家族もできました。私は相変わらず働き続けて生計を立てています。
いま、義父も殺さなくて、いや殺せなくてよかった。母には、寝たきりであっても一日でも長生きしてほしい、と願う毎日です。娘や息子も罪人の子とレッテルを貼られなくてよかった。夫の看病も私が同居してできてよかった。罪人になれば夫の看病もできずにいたろう・・・・とつくづく思っています。
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2010年02月18日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
夫はそのとき、「オレヤダ・・・・・」
(埼玉県・女性・59歳)
67歳になる若年アルツハイマーの主人を在宅で介護して
14年目です。発病して5~6年目が一番辛い時期でした。「殺して」自分も一緒に「らく」になりたい。そればかり考えていました。
主人の病気は治してやりたい、治ると思っていました。今までの生活はなんだったのか、焦れば焦るほど本人はつらいようで、先が見えない、一人になると泣いてばかりの奈落の底でした。二人で一泊旅行に行きましたが。とても景色もよく「おとうさん『らく』になりたいね・・・・・」。その言葉に「おれヤダ・・・・・」。本人はもっとつらかったでしょうに・・・・・。それは改めていっしょに生きようと心に決めた一言でした。
当時若年アルツハイマーの言葉すら耳にすることがありませんでした。大変なことも続きました。入退院、身内との別れ、体力のある徘徊、つらい時期も年数とともに忘れ、楽しい時が思い出されます。デイサービスも施設も馴染まず、今は一日中、家庭内徘徊です。
苦しんでいる皆さんは大勢いらっしゃると思います。が、そこが「病気」なんです。気づいてあげてください。どうにかなります。よい方向に進みます。私たちはとてもよいスタッフのみなさんに恵まれ、今が一番幸せです。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
夫はそのとき、「オレヤダ・・・・・」
(埼玉県・女性・59歳)
67歳になる若年アルツハイマーの主人を在宅で介護して
14年目です。発病して5~6年目が一番辛い時期でした。「殺して」自分も一緒に「らく」になりたい。そればかり考えていました。
主人の病気は治してやりたい、治ると思っていました。今までの生活はなんだったのか、焦れば焦るほど本人はつらいようで、先が見えない、一人になると泣いてばかりの奈落の底でした。二人で一泊旅行に行きましたが。とても景色もよく「おとうさん『らく』になりたいね・・・・・」。その言葉に「おれヤダ・・・・・」。本人はもっとつらかったでしょうに・・・・・。それは改めていっしょに生きようと心に決めた一言でした。
当時若年アルツハイマーの言葉すら耳にすることがありませんでした。大変なことも続きました。入退院、身内との別れ、体力のある徘徊、つらい時期も年数とともに忘れ、楽しい時が思い出されます。デイサービスも施設も馴染まず、今は一日中、家庭内徘徊です。
苦しんでいる皆さんは大勢いらっしゃると思います。が、そこが「病気」なんです。気づいてあげてください。どうにかなります。よい方向に進みます。私たちはとてもよいスタッフのみなさんに恵まれ、今が一番幸せです。
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2010年02月15日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
否定しないことを第一に、
孤独にならない、絶望的にならない
(静岡県・女性・57歳)
義母享年88歳の介護は否定しないことを第一に考え、理解できないことは私の判断で処理してしまっていました。自分でかけた玄関の鍵が開けられず中二階から出て危ないので、鍵はかからないようにしました。化粧品を食べているのが分かったときは、黙って片付けました。一人でお風呂に入るとタオルを何枚も持ってい行ってしまうので、着替えを介助したところ、もって行かなくなりました。
軽い脳梗塞で一週間入院した後、認知症も加速し、ヒステリーを起こすようになりました。昔の記憶に戻り、家の中のトイレがわからず外で用をたしていました。寒くなり、否定せずトイレに連れて行くのが大変でした。
ヒステリー気味になると仕方なく、夫が胴を私が足を持ってトイレに連れて行き、出ても出なくても温水を出しました。そのうち気持ちがよいのが分かり、支えている夫に「ありがとう」「出たよ」というようになり、その間に私は、布切れを電子レンジで温め蒸しタオルにし、お尻を拭きました。
その後は部屋で自由にさせていました。良く動くので転びもしましたが、ケガもなく、あざ程度でした。押入れに布団を入れたり出したり、時には自分も入っていました。服を脱いだり、また着ようとしたり、全裸でいたこともあります。最初は驚きましたがそのうちに私もなれました。食べて、オムツがきれいで、ヒステリーを起こさなければよしとしました。
入眠も困難で夜は夫と3人で寝ていました。。夫は戦死した自分の兄、私は隣のおばさんでしたが、それでも良いと思いました。夫と二人で介護できたのが幸いで 、「家族の会」の方々に親身になって聞いていただき、接し方も教えていただいたおかげで、落ち着いていられました。
会報「ぽ~れぽ~れ」を読むと、色々な立場の人がいると思え、孤独にならない、絶望的にならないことを心がけました。義母とは元気なときは、仲良くなれませんでしたが、、無事送ることができ、安堵しています。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
否定しないことを第一に、
孤独にならない、絶望的にならない
(静岡県・女性・57歳)
義母享年88歳の介護は否定しないことを第一に考え、理解できないことは私の判断で処理してしまっていました。自分でかけた玄関の鍵が開けられず中二階から出て危ないので、鍵はかからないようにしました。化粧品を食べているのが分かったときは、黙って片付けました。一人でお風呂に入るとタオルを何枚も持ってい行ってしまうので、着替えを介助したところ、もって行かなくなりました。
軽い脳梗塞で一週間入院した後、認知症も加速し、ヒステリーを起こすようになりました。昔の記憶に戻り、家の中のトイレがわからず外で用をたしていました。寒くなり、否定せずトイレに連れて行くのが大変でした。
ヒステリー気味になると仕方なく、夫が胴を私が足を持ってトイレに連れて行き、出ても出なくても温水を出しました。そのうち気持ちがよいのが分かり、支えている夫に「ありがとう」「出たよ」というようになり、その間に私は、布切れを電子レンジで温め蒸しタオルにし、お尻を拭きました。
その後は部屋で自由にさせていました。良く動くので転びもしましたが、ケガもなく、あざ程度でした。押入れに布団を入れたり出したり、時には自分も入っていました。服を脱いだり、また着ようとしたり、全裸でいたこともあります。最初は驚きましたがそのうちに私もなれました。食べて、オムツがきれいで、ヒステリーを起こさなければよしとしました。
入眠も困難で夜は夫と3人で寝ていました。。夫は戦死した自分の兄、私は隣のおばさんでしたが、それでも良いと思いました。夫と二人で介護できたのが幸いで 、「家族の会」の方々に親身になって聞いていただき、接し方も教えていただいたおかげで、落ち着いていられました。
会報「ぽ~れぽ~れ」を読むと、色々な立場の人がいると思え、孤独にならない、絶望的にならないことを心がけました。義母とは元気なときは、仲良くなれませんでしたが、、無事送ることができ、安堵しています。
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2010年02月12日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
苦しい思いや悲しい思いをするから
人にやさしくなれる
(大分県・女性・57歳)
私は12年間、認知症の姑を在宅介護し、看取りりました。私は、何度も自殺したいと思ったことがありました。でも今は心から、生きていて最後まで介護できて良かった、と感じています。
・自分の親が哀しい思いをするのではないかと想像する。
・「家族の会」やテレビ・新聞などを見て、同じ苦しい思いや空しい思いをしている人がたくさんいて、自分だけではないと感じる。
・保健所や公的機関の電話相談で話をする。話すことによって気持が少し楽になる。
・迷惑にならない場所で大きな声で叫ぶこと。気分を発散できる。
・ノートや日記に書く。書くことによって落ち着く。
・戸外へ出て歩く。苦しい思いを忘れることができる。
・人に話を聞いてもらう。
・お寺などの法話を聞く。
人はみな、苦しい思いをするから人に優しくなれると思います。みんな同じような段階をへて、すべてを 受け入れることが出きるのではないかと思っています。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
苦しい思いや悲しい思いをするから
人にやさしくなれる
(大分県・女性・57歳)
私は12年間、認知症の姑を在宅介護し、看取りりました。私は、何度も自殺したいと思ったことがありました。でも今は心から、生きていて最後まで介護できて良かった、と感じています。
・自分の親が哀しい思いをするのではないかと想像する。
・「家族の会」やテレビ・新聞などを見て、同じ苦しい思いや空しい思いをしている人がたくさんいて、自分だけではないと感じる。
・保健所や公的機関の電話相談で話をする。話すことによって気持が少し楽になる。
・迷惑にならない場所で大きな声で叫ぶこと。気分を発散できる。
・ノートや日記に書く。書くことによって落ち着く。
・戸外へ出て歩く。苦しい思いを忘れることができる。
・人に話を聞いてもらう。
・お寺などの法話を聞く。
人はみな、苦しい思いをするから人に優しくなれると思います。みんな同じような段階をへて、すべてを 受け入れることが出きるのではないかと思っています。
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2010年02月09日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集より
認知症の人と家族の会

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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
私のストレス解消法
(千葉県・女性・57歳)
83歳の認知症の母を一人で介護しております。暴言暴力があります。何度死にたいと思ったことか・・・。でも何とか元気で介護しております。参考になるか分かりませんが、私のストレス解消法を書いてみました。
・夜眠らないときは睡眠剤を出していただく。。
・暴言暴力がひどいときは安定剤を出していただく。
・本、テレビ、新聞などで認知症の情報を得る。
・美味しいものを食べる。食べさせる(バランスを良く)。
・昔楽しかった頃の思い出話をする。二人で歌をうたう。
・散歩や買い物に連れて行く。
・デイサービス、ヘルパーさんを利用する。その空いた時間は好きなことをする。
・テレビの見たい番組、癒し系の番組を見る。
・ラジオの音楽番組を聞く、聞かせる。
・季節の花を活ける。(雑草、造花でも良い)。
・部屋を清潔に掃除する。
・気の合う兄弟、姉妹、親族に電話する。来宅していただく。
・イライラした時は、別の部屋へ行き、落ち着くまで一人でお茶を飲み、ゆっくりする。
・疲れないように介護の合間に一人で休憩を入れる(一人の時間を作る)。
・疲れたときは家事を手抜きをする。ごろ寝する。
・どうしてもつらいときは介護電話相談に電話して、愚痴を聞いていただく。
・祈る。それでもつらく死にたい時は、思いっきり泣く。すると次の日は生きる力が出てきます。
・真心こめて介護していれば通じるものがあると思います。いつかは、また、希望に満ちた平穏の日々が来ると信じて生きる。
どうか皆様、死なないで下さい。生きていて良かったと思う日が必ず来ます。きっと天がご褒美を下さいます。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
私のストレス解消法
(千葉県・女性・57歳)
83歳の認知症の母を一人で介護しております。暴言暴力があります。何度死にたいと思ったことか・・・。でも何とか元気で介護しております。参考になるか分かりませんが、私のストレス解消法を書いてみました。
・夜眠らないときは睡眠剤を出していただく。。
・暴言暴力がひどいときは安定剤を出していただく。
・本、テレビ、新聞などで認知症の情報を得る。
・美味しいものを食べる。食べさせる(バランスを良く)。
・昔楽しかった頃の思い出話をする。二人で歌をうたう。
・散歩や買い物に連れて行く。
・デイサービス、ヘルパーさんを利用する。その空いた時間は好きなことをする。
・テレビの見たい番組、癒し系の番組を見る。
・ラジオの音楽番組を聞く、聞かせる。
・季節の花を活ける。(雑草、造花でも良い)。
・部屋を清潔に掃除する。
・気の合う兄弟、姉妹、親族に電話する。来宅していただく。
・イライラした時は、別の部屋へ行き、落ち着くまで一人でお茶を飲み、ゆっくりする。
・疲れないように介護の合間に一人で休憩を入れる(一人の時間を作る)。
・疲れたときは家事を手抜きをする。ごろ寝する。
・どうしてもつらいときは介護電話相談に電話して、愚痴を聞いていただく。
・祈る。それでもつらく死にたい時は、思いっきり泣く。すると次の日は生きる力が出てきます。
・真心こめて介護していれば通じるものがあると思います。いつかは、また、希望に満ちた平穏の日々が来ると信じて生きる。
どうか皆様、死なないで下さい。生きていて良かったと思う日が必ず来ます。きっと天がご褒美を下さいます。
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2010年02月02日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
子供やわかり合える友だちが心の支え
(愛知県・女性・56歳)
主人(59歳)を介護して三年になります。要介護4なのでなかなか大変な思いをしています。それまで、認知症の言葉を聞いたことはあっても、自分とは無縁だと思っていました。
主人が脳疾患の病に倒れ「医者に認知症になります。社会復帰はできません」と冷たく言い放たれた時は、頭が真っ白になり、涙が後から後からあふれて止まりませんでした。もう病室の窓から飛び降りて死にたいと思いました。
病状の説明を聞いたその時は息子も一緒にいて、「お母さん、明日会社休むから、今日はお父さんと一緒に寝よう」と言ってくれました。その晩息子と私は病室へ泊まりました。本当に子供の存在が支えでした。
今日まで「もう生きていくのが嫌になる」とか「いっそ死んでほしい」と何度も思いました。しかし、「殺してしまいたい」と思わずにすんだのは、子どもたちが私を気にかけてくれたり、ホットできる温かい友だちの存在などだと思います。「家族の会」で知り合った友だちの存在は、お互いに分かり合える心の支えかもしれません。
誰でも「まさかの坂は」はあるけれど、状況は変化するので、また穏やかな時期も来ると思い、過ごしています。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
子供やわかり合える友だちが心の支え
(愛知県・女性・56歳)
主人(59歳)を介護して三年になります。要介護4なのでなかなか大変な思いをしています。それまで、認知症の言葉を聞いたことはあっても、自分とは無縁だと思っていました。
主人が脳疾患の病に倒れ「医者に認知症になります。社会復帰はできません」と冷たく言い放たれた時は、頭が真っ白になり、涙が後から後からあふれて止まりませんでした。もう病室の窓から飛び降りて死にたいと思いました。
病状の説明を聞いたその時は息子も一緒にいて、「お母さん、明日会社休むから、今日はお父さんと一緒に寝よう」と言ってくれました。その晩息子と私は病室へ泊まりました。本当に子供の存在が支えでした。
今日まで「もう生きていくのが嫌になる」とか「いっそ死んでほしい」と何度も思いました。しかし、「殺してしまいたい」と思わずにすんだのは、子どもたちが私を気にかけてくれたり、ホットできる温かい友だちの存在などだと思います。「家族の会」で知り合った友だちの存在は、お互いに分かり合える心の支えかもしれません。
誰でも「まさかの坂は」はあるけれど、状況は変化するので、また穏やかな時期も来ると思い、過ごしています。
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2010年02月01日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
入水準備を整えたそのときに・・・
(京都府・女性・56歳)
20代で主人の母の介護、30代で実母の妹である叔母の介護を経験。50代で施設ヘルパーになり勤務中、実母94歳が脳出血を起こしせん妄状態に。2ヶ月半みましたが、もう限界でした。
夜は夜間せん妄がひどくなり、独り言や、寝たまま背中でずり動いて部屋の外まで出てきたり、ろう便の繰り返し。主人も「なんとかならないのか!!」と申します。「もう、一緒に死ぬしかない」と思い込んでしまい、どこから入水しようかと、川に何度か下見に行きました。ここならというところも見つけ、母を乗せるリサイクル椅子も買い入れました。
まさに今日か明日かというときに、ケアマネージャーさんから「病院の予約の日が来ましたので行きましょう」と連絡があり、一緒に行ってくださいました。「家族の会」の電話相談のアドバイスで予約したのですが、2ヶ月の待機で忘れていたのです。
先生に診ていただき、2時間ほど話を聞いていただきました。何かつきものが落ちたようにスッキリしました。薬もいただき、2,3日でせん妄は消え、母も少し落ち着いてきました。
もっと認知症のことを知らなくてはと思い、「家族の会」のつどいや講演会などに参加しました。皆様のレベルの高さにおどろき、自分の弱いところもはっきり理解でき、先の見えない不安も少し消えてゆき、母をショートステイに預けた日だけ、認知症のデイサービスセンターで働きました。その後は母は近くの特養に入所できました。
ガレージに残された車椅子を見るたびに、あの時あわてて決行しなくて良かった、と思います。私も母も人に恵まれているのだ、と心から思えるようになりました。
私は「家族の会」で電話相談も担当するようになり、以前の私のようにクタクタになった方からの電話を受けています。「つらいことは聞き上手な人に、ただ聞いてもらうだけで、確実に半分になる」と、私は思います。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
入水準備を整えたそのときに・・・
(京都府・女性・56歳)
20代で主人の母の介護、30代で実母の妹である叔母の介護を経験。50代で施設ヘルパーになり勤務中、実母94歳が脳出血を起こしせん妄状態に。2ヶ月半みましたが、もう限界でした。
夜は夜間せん妄がひどくなり、独り言や、寝たまま背中でずり動いて部屋の外まで出てきたり、ろう便の繰り返し。主人も「なんとかならないのか!!」と申します。「もう、一緒に死ぬしかない」と思い込んでしまい、どこから入水しようかと、川に何度か下見に行きました。ここならというところも見つけ、母を乗せるリサイクル椅子も買い入れました。
まさに今日か明日かというときに、ケアマネージャーさんから「病院の予約の日が来ましたので行きましょう」と連絡があり、一緒に行ってくださいました。「家族の会」の電話相談のアドバイスで予約したのですが、2ヶ月の待機で忘れていたのです。
先生に診ていただき、2時間ほど話を聞いていただきました。何かつきものが落ちたようにスッキリしました。薬もいただき、2,3日でせん妄は消え、母も少し落ち着いてきました。
もっと認知症のことを知らなくてはと思い、「家族の会」のつどいや講演会などに参加しました。皆様のレベルの高さにおどろき、自分の弱いところもはっきり理解でき、先の見えない不安も少し消えてゆき、母をショートステイに預けた日だけ、認知症のデイサービスセンターで働きました。その後は母は近くの特養に入所できました。
ガレージに残された車椅子を見るたびに、あの時あわてて決行しなくて良かった、と思います。私も母も人に恵まれているのだ、と心から思えるようになりました。
私は「家族の会」で電話相談も担当するようになり、以前の私のようにクタクタになった方からの電話を受けています。「つらいことは聞き上手な人に、ただ聞いてもらうだけで、確実に半分になる」と、私は思います。
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2010年01月28日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
私の誘いを「オラ、死ぬのはヤンダヨ」とキッパリ拒絶した姑 (宮城県・女性・55歳)
姑は、認知症と診断されてから24年間生き抜いて、98歳で天界に旅たちました。亡くなる前の3年間は老人ホームでの施設介護でしたが、ホームに入所する直前、ショートステイ、ホームヘルパーなどを利用しながら自宅で介護していた時のことです。
当時、すでに要介護5の認定を受けていた姑は、思考力だけでなく身体能力も著しく低下し、歩行、着替え、トイレ、洗面、お風呂など日常生活全般に介護が必要でした。
もともと勝気で働き者の姑は、そうした自分の状況を受け入れなかったのでしょう。イラ立ち、不機嫌でいることが大変多くなりました。介護保険のサービスも目一杯利用していましたが、毎週2日間は家族が職場や学校へと出かけた後、姑と私と二人だけで過ごさなければなりませんでした。
その日も姑は朝から落ち着かず、大声で叫んでおりました。そのつど私は姑に近寄りなだめるのですが、それも2分ともたず、唯一静かなのは食べ物を口にしている時だけと鳴りました。それを朝から何度繰り返したでしょうか。また大声を出し始めた姑に近づくと、「アンタの言葉なんか聞きだくネー」と、日ごろ、日常会話もままならない姑が激しい言葉を投げつけたのです。
そのとき、私の中で何かがプツンとはじけました。そして私は飛んでも無い言葉を吐いてしまったのです。
「お姑さん、私猛疲れ他。いっしょに死のう。死んで楽になろう」ところが姑は私の誘いをキッパリ拒絶したのです。
「オラ、ヤンダヨ。死ぬのはヤンダヨ」
ハットわれに返り、私は自分のおろかさに愕然としました。目の前の激しい現実から逃れることばかり考えて、姑の本当の気持に気づこうとしていなかったのです。姑はただただ生きようとしてもがいているだけなのだ、とやっと気づきました。
その後、朝から大声を上げていた姑はウトウトし始め、何事もなかったかのように眠りました。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
私の誘いを「オラ、死ぬのはヤンダヨ」とキッパリ拒絶した姑 (宮城県・女性・55歳)
姑は、認知症と診断されてから24年間生き抜いて、98歳で天界に旅たちました。亡くなる前の3年間は老人ホームでの施設介護でしたが、ホームに入所する直前、ショートステイ、ホームヘルパーなどを利用しながら自宅で介護していた時のことです。
当時、すでに要介護5の認定を受けていた姑は、思考力だけでなく身体能力も著しく低下し、歩行、着替え、トイレ、洗面、お風呂など日常生活全般に介護が必要でした。
もともと勝気で働き者の姑は、そうした自分の状況を受け入れなかったのでしょう。イラ立ち、不機嫌でいることが大変多くなりました。介護保険のサービスも目一杯利用していましたが、毎週2日間は家族が職場や学校へと出かけた後、姑と私と二人だけで過ごさなければなりませんでした。
その日も姑は朝から落ち着かず、大声で叫んでおりました。そのつど私は姑に近寄りなだめるのですが、それも2分ともたず、唯一静かなのは食べ物を口にしている時だけと鳴りました。それを朝から何度繰り返したでしょうか。また大声を出し始めた姑に近づくと、「アンタの言葉なんか聞きだくネー」と、日ごろ、日常会話もままならない姑が激しい言葉を投げつけたのです。
そのとき、私の中で何かがプツンとはじけました。そして私は飛んでも無い言葉を吐いてしまったのです。
「お姑さん、私猛疲れ他。いっしょに死のう。死んで楽になろう」ところが姑は私の誘いをキッパリ拒絶したのです。
「オラ、ヤンダヨ。死ぬのはヤンダヨ」
ハットわれに返り、私は自分のおろかさに愕然としました。目の前の激しい現実から逃れることばかり考えて、姑の本当の気持に気づこうとしていなかったのです。姑はただただ生きようとしてもがいているだけなのだ、とやっと気づきました。
その後、朝から大声を上げていた姑はウトウトし始め、何事もなかったかのように眠りました。
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2010年01月24日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
助けを求めたやり方が最善でした
(神奈川県・女性・54歳)
介護殺人・自殺のニュースは本当に他人事ではないと思いながら介護していました。結婚して25年、その内の15年は介護でした。姑、舅、母を同時でした。姑、舅が亡くなった後、母の認知症が進んできました。介護もベテランのはずの私でしたが、やはり実の母となると感情的になり、余裕もなくなり、自分も手術・入院したりするとすっかり体力にも自信が泣くなり、介護はつらいものとなりました。
デイサービス、ショートステイとフルに使っても、母はだんだんと拒否が強くなり、便失禁が始まったりすると私は泣くことが多くなって、イライラして母に憎しみをいだくこともあり、自分を責める気持ちと励ます気持ちが入り乱れ、かなりまいってしまいました。
そんな時、ケアマネージャーさんに何気なく「特養って母も申し込めますか?」と聞いたら、「もちろんですよ、どうぞ!!」。その言葉に目の前のモヤモヤが晴れた思いでした。「お母さんのことが解決したら、娘さんの今の状況はすべて解決するんじゃないですか?」の言葉どうり、幸運にも母は特養に入所し、落ち着いた日々を送っています。息子も独立し25年ぶりに夫婦二人の生活が始まりました。
時々は母に会いに行くと、そのたびに「嬉しい」と言って泣きます。私のことは分からないようですが、喜んでくれます。私も泣けてきますが、もう憎しみはありません。感謝の気持ちです。母が自分の人生を決めてくれ、私の人生もプレゼントしてくれたと思います。
私が母に、暴力や首に手をかけそうになるのを踏みとどまらせたものは何だったのか。「大丈夫!大丈夫!」といつも思い続けていたこと。また、疲れてはいけない、と母と一緒に昼寝をして、とりあえず休んでいました。ケアマネージャーさん、デイサービスの方々に助けを求め、ずいぶん助けていただけたことは、大きな支えでした。母と共に、右往左往した日々に、助けを求めたやり方が、私は最善だったと思います。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
助けを求めたやり方が最善でした
(神奈川県・女性・54歳)
介護殺人・自殺のニュースは本当に他人事ではないと思いながら介護していました。結婚して25年、その内の15年は介護でした。姑、舅、母を同時でした。姑、舅が亡くなった後、母の認知症が進んできました。介護もベテランのはずの私でしたが、やはり実の母となると感情的になり、余裕もなくなり、自分も手術・入院したりするとすっかり体力にも自信が泣くなり、介護はつらいものとなりました。
デイサービス、ショートステイとフルに使っても、母はだんだんと拒否が強くなり、便失禁が始まったりすると私は泣くことが多くなって、イライラして母に憎しみをいだくこともあり、自分を責める気持ちと励ます気持ちが入り乱れ、かなりまいってしまいました。
そんな時、ケアマネージャーさんに何気なく「特養って母も申し込めますか?」と聞いたら、「もちろんですよ、どうぞ!!」。その言葉に目の前のモヤモヤが晴れた思いでした。「お母さんのことが解決したら、娘さんの今の状況はすべて解決するんじゃないですか?」の言葉どうり、幸運にも母は特養に入所し、落ち着いた日々を送っています。息子も独立し25年ぶりに夫婦二人の生活が始まりました。
時々は母に会いに行くと、そのたびに「嬉しい」と言って泣きます。私のことは分からないようですが、喜んでくれます。私も泣けてきますが、もう憎しみはありません。感謝の気持ちです。母が自分の人生を決めてくれ、私の人生もプレゼントしてくれたと思います。
私が母に、暴力や首に手をかけそうになるのを踏みとどまらせたものは何だったのか。「大丈夫!大丈夫!」といつも思い続けていたこと。また、疲れてはいけない、と母と一緒に昼寝をして、とりあえず休んでいました。ケアマネージャーさん、デイサービスの方々に助けを求め、ずいぶん助けていただけたことは、大きな支えでした。母と共に、右往左往した日々に、助けを求めたやり方が、私は最善だったと思います。
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2010年01月21日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
岸壁からダイブしようとした時
「イヤダ!」と言った母
(神奈川県・女性・52歳)
私の実母はアルツハイマー病で平成15年、78歳でなくなりました。若い時は従軍看護婦として戦地にも行き、在宅で祖父を看取り、PTAやサークル活動など、とても積極的でたのもしい母でした。
そんな母が60代後半からだんだんと壊れていきました。隣で寝ている父が異変を感じて指摘しても、母はそれを認めることができず、やっと病院に行った時には「中期の後半」と言われ、父と私は、その時から計り知れない不安でいっぱいになりました。
徘徊が始まり、無事保護してくださった方へお礼の電話をかけるようになった頃から、父のジレンマが最高になりました。こんな生き恥をいつまでかくのだろう、という思いが強くなり、ある日、車に母を乗せ出かけて行きました。
後で聞きましたがその時、岸壁からダイブしようと思っていたそうです。いざという時、母が「イヤダ!」といったそうです。そのときの母の思いは、病気になっても生きたいという素直な思いだったと思います。
その後は母は車を嫌がり大変でしたが、介護保険が始まり、行政や他人に世話になることを恥と思わず、「助けてください」と声を上げることで、父も私も心の安定を取り戻しました。
母が亡くなってから5年になりますが、私は現在、介護者の心の支えになりたいという気持ちで、認知症サポーターをしています。あの時二人で逝ってしまっていたら、私は一生悔やみ続けるだけだったと思いますし、現在のような活動はできていなかったでしょう。あの時、父が踏みとどまってくれたおかげです。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
岸壁からダイブしようとした時
「イヤダ!」と言った母
(神奈川県・女性・52歳)
私の実母はアルツハイマー病で平成15年、78歳でなくなりました。若い時は従軍看護婦として戦地にも行き、在宅で祖父を看取り、PTAやサークル活動など、とても積極的でたのもしい母でした。
そんな母が60代後半からだんだんと壊れていきました。隣で寝ている父が異変を感じて指摘しても、母はそれを認めることができず、やっと病院に行った時には「中期の後半」と言われ、父と私は、その時から計り知れない不安でいっぱいになりました。
徘徊が始まり、無事保護してくださった方へお礼の電話をかけるようになった頃から、父のジレンマが最高になりました。こんな生き恥をいつまでかくのだろう、という思いが強くなり、ある日、車に母を乗せ出かけて行きました。
後で聞きましたがその時、岸壁からダイブしようと思っていたそうです。いざという時、母が「イヤダ!」といったそうです。そのときの母の思いは、病気になっても生きたいという素直な思いだったと思います。
その後は母は車を嫌がり大変でしたが、介護保険が始まり、行政や他人に世話になることを恥と思わず、「助けてください」と声を上げることで、父も私も心の安定を取り戻しました。
母が亡くなってから5年になりますが、私は現在、介護者の心の支えになりたいという気持ちで、認知症サポーターをしています。あの時二人で逝ってしまっていたら、私は一生悔やみ続けるだけだったと思いますし、現在のような活動はできていなかったでしょう。あの時、父が踏みとどまってくれたおかげです。
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2010年01月18日
死なないで!殺さないで!生きようメッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
苦しみを言葉に出せば
きっと楽になります
(和歌山県・女性・51歳)
母は2002年、入院先の病院の窓から飛び降り、かろうじて植木バチ置き場に引っかかりました。見当識障害で精神科へ強制入院。退院後の2003年11月家を出て失踪。近所、消防団、親戚などが探しても見つからず、警察も手を引き,私一人で尋ね人のポスターを張りながら、毎日たずね歩きました。疲れを感じた3月3日、母は近くのため池で見つかりました。
母の死後同居した父は「泥棒が入ってくる。娘にお金を取られた。食事に毒を入れられる」と妄想が出てきました。意味不明になり救急車で病院に運び込まれ、検査し、どこも悪くなく帰ってくる。そんな毎日の繰り返しで、ヘトヘトになりました。お医者さんの勧めでグループホームへ入所決めこまやかで温かい介護を受けて2008年、脳内出血でなくなりました。
2004年夫がヘルペス脳炎になり死の直前までいきましたが、7月退院。9月よりうつで休職し、2005年春、父と同居するため実家の和歌山へ転居しました。2004年5月は夫の入院、猫の腎不全、父の救急車搬送と三つ重なり、私は精神的に追いつめられ、夜眠れなくなりました。このまま眠れば二度と起きられないと思ったからです。診療内科で抗うつ剤、睡眠薬をいただき、飲みながら仕事を続けました。
夫はきついうつの薬を飲んで車を運転し、三度交通事故を越しました。さすがの私も心身共に疲れ果て、あれだけ一生懸命看護し励ましてヘルペス脳炎が治ったのに、あの時死んでいればこんなことは起きなかった、と考えるところまで追いつめられていました。
介護で追いつめられたら、その苦しみを自分だけで背負わずに、「家族の会」に来て話してみるとか、カウンセリングを受けるなど、言葉に出してください。きっと楽になると思います。今は苦しいと思いますが、この苦しみもいつかは終わりがきます。
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吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
苦しみを言葉に出せば
きっと楽になります
(和歌山県・女性・51歳)
母は2002年、入院先の病院の窓から飛び降り、かろうじて植木バチ置き場に引っかかりました。見当識障害で精神科へ強制入院。退院後の2003年11月家を出て失踪。近所、消防団、親戚などが探しても見つからず、警察も手を引き,私一人で尋ね人のポスターを張りながら、毎日たずね歩きました。疲れを感じた3月3日、母は近くのため池で見つかりました。
母の死後同居した父は「泥棒が入ってくる。娘にお金を取られた。食事に毒を入れられる」と妄想が出てきました。意味不明になり救急車で病院に運び込まれ、検査し、どこも悪くなく帰ってくる。そんな毎日の繰り返しで、ヘトヘトになりました。お医者さんの勧めでグループホームへ入所決めこまやかで温かい介護を受けて2008年、脳内出血でなくなりました。
2004年夫がヘルペス脳炎になり死の直前までいきましたが、7月退院。9月よりうつで休職し、2005年春、父と同居するため実家の和歌山へ転居しました。2004年5月は夫の入院、猫の腎不全、父の救急車搬送と三つ重なり、私は精神的に追いつめられ、夜眠れなくなりました。このまま眠れば二度と起きられないと思ったからです。診療内科で抗うつ剤、睡眠薬をいただき、飲みながら仕事を続けました。
夫はきついうつの薬を飲んで車を運転し、三度交通事故を越しました。さすがの私も心身共に疲れ果て、あれだけ一生懸命看護し励ましてヘルペス脳炎が治ったのに、あの時死んでいればこんなことは起きなかった、と考えるところまで追いつめられていました。
介護で追いつめられたら、その苦しみを自分だけで背負わずに、「家族の会」に来て話してみるとか、カウンセリングを受けるなど、言葉に出してください。きっと楽になると思います。今は苦しいと思いますが、この苦しみもいつかは終わりがきます。
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2010年01月14日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
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ー言葉に出せばきっと楽になるー
頭で分かっていても
義母の奇行は受け入れづらく・・・
奈良県・女性・51歳
結婚し、新婚旅行から帰った夜、私が晩ご飯を作るまでじっと座る義母。一人目を出産し退院した日の夜も同じように、私の家事を待つ義母・・・。私は共働きの三交代。よく頑張った20代・・・。おまけにヒステリーのたびに感情を表さなくなり、言葉も減り、日ごとにぼけっていく・・・。
ついに徘徊の日々。あちこちのお宅や警察、病院にお詫びとお礼を言いながら過ごした日々。はみがきで顔を洗い、シャンプーで顔を化粧する頃はもう私も慣れて、笑うほどでした。初孫の出産を喜ぶかとの期待はもろくもくずれ、ただ自分の身体を保つことが精一杯だった義母。
過去のことを美化する余裕は今もありません。入院のたびに幼児を友人に預けたり、とにかく私の子育ては義母の介護抜きには語れない。頭で分かっていても義母の奇行は受け入れづらく、何度「死」を思ったことか。
義母がなくなった今、生きることの大変さを感じると同時に、死なずに良かった、義母もつらかったんだ、と本当に思えるようになっています。この家族の会に入会し20年近く過ぎた今、自分ができることは何かを考えています。
“おばあちゃん、十分介護したのかなあ・・・。今度生まれてくるときはこの病気になりたくないね”
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頭で分かっていても
義母の奇行は受け入れづらく・・・
奈良県・女性・51歳
結婚し、新婚旅行から帰った夜、私が晩ご飯を作るまでじっと座る義母。一人目を出産し退院した日の夜も同じように、私の家事を待つ義母・・・。私は共働きの三交代。よく頑張った20代・・・。おまけにヒステリーのたびに感情を表さなくなり、言葉も減り、日ごとにぼけっていく・・・。
ついに徘徊の日々。あちこちのお宅や警察、病院にお詫びとお礼を言いながら過ごした日々。はみがきで顔を洗い、シャンプーで顔を化粧する頃はもう私も慣れて、笑うほどでした。初孫の出産を喜ぶかとの期待はもろくもくずれ、ただ自分の身体を保つことが精一杯だった義母。
過去のことを美化する余裕は今もありません。入院のたびに幼児を友人に預けたり、とにかく私の子育ては義母の介護抜きには語れない。頭で分かっていても義母の奇行は受け入れづらく、何度「死」を思ったことか。
義母がなくなった今、生きることの大変さを感じると同時に、死なずに良かった、義母もつらかったんだ、と本当に思えるようになっています。この家族の会に入会し20年近く過ぎた今、自分ができることは何かを考えています。
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2010年01月11日
死なないで! 殺さないで! 生きようメッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
介護後の人生
「何でもできる!」という気がしませんか?
(東京都・女性・49歳)
母親(要介護5)を介護しています。2009年九月に父が亡くなり、同時期に仕事もやめましたので、私の介護生活も七年目に入りました。認知症の母親との二人暮らしで、仕事もできない身の上。残さなければならないものは何もない。一触即発、「死んでくれたら」と思うことは何度もありました。でも今のところ何とか思いとどまることができています。
なぜか、介護生活は永遠に続きません。伯母の言葉ですが、「あと10年は続いたとしても、20年はないでしょう?」。他人から見れば不幸な人生かも知れませんが、介護期間は「人生の徳を積んでいる」期間と言われたこともあります。その後の人生は私にもまだ見えてきませんが「何でもできる!」という気がしませんか?
具体的な対処法です。母親が混乱してどうにもならないとき、私は「逃げる」ことにしています。二階の自分の部屋に鍵をかけ、母親が落ち着くのを待ち、一階へ戻ります。ほとんどの場合母親は、ケロリとして少し前の出来事など忘れています。まだ混乱が続いていたら、母親の好きな食べ物をテーブルに置いたり、童謡をかけるなどして気分が変るのを期待して、自分の部屋で様子を見ます(この間、徘徊には要注意!)。
「その瞬間」をさけるためには、日常生活の工夫がとても重要だと思います。この六年間で私なりにしてきたことを書いておきます。
・良い介護サービスを探す。
・イライラする要因を減らすよう工夫し努力する。
・認知症の本を読む。講習を受ける。
・協力しない親族には期待しない。
・「家族の会」の電話相談を利用する、地元の「家族の会」にも出席する。
・何か自分が楽しいと思うことを探す。
・心身ともに余裕のある状態を保つよう心がける。
何かひとつでもお役にたてたら、と思います。お互い、何とか切り抜けましょう!
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超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
介護後の人生
「何でもできる!」という気がしませんか?
(東京都・女性・49歳)
母親(要介護5)を介護しています。2009年九月に父が亡くなり、同時期に仕事もやめましたので、私の介護生活も七年目に入りました。認知症の母親との二人暮らしで、仕事もできない身の上。残さなければならないものは何もない。一触即発、「死んでくれたら」と思うことは何度もありました。でも今のところ何とか思いとどまることができています。
なぜか、介護生活は永遠に続きません。伯母の言葉ですが、「あと10年は続いたとしても、20年はないでしょう?」。他人から見れば不幸な人生かも知れませんが、介護期間は「人生の徳を積んでいる」期間と言われたこともあります。その後の人生は私にもまだ見えてきませんが「何でもできる!」という気がしませんか?
具体的な対処法です。母親が混乱してどうにもならないとき、私は「逃げる」ことにしています。二階の自分の部屋に鍵をかけ、母親が落ち着くのを待ち、一階へ戻ります。ほとんどの場合母親は、ケロリとして少し前の出来事など忘れています。まだ混乱が続いていたら、母親の好きな食べ物をテーブルに置いたり、童謡をかけるなどして気分が変るのを期待して、自分の部屋で様子を見ます(この間、徘徊には要注意!)。
「その瞬間」をさけるためには、日常生活の工夫がとても重要だと思います。この六年間で私なりにしてきたことを書いておきます。
・良い介護サービスを探す。
・イライラする要因を減らすよう工夫し努力する。
・認知症の本を読む。講習を受ける。
・協力しない親族には期待しない。
・「家族の会」の電話相談を利用する、地元の「家族の会」にも出席する。
・何か自分が楽しいと思うことを探す。
・心身ともに余裕のある状態を保つよう心がける。
何かひとつでもお役にたてたら、と思います。お互い、何とか切り抜けましょう!
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2010年01月02日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集より
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
正しいことを言われても
何の役にも立ちませんよね
(大阪府・女性47歳)
大切な家族が認知症になったら、当事者も家族もたくさんのことを喪失します。当事者は身体の機能や記憶、それまでの役割などを失います。介護者は認知症になる前に大好きだった人が病気により、別の人になってしまったような、確かに生きているのに死んでしまったような感じがして、病気になる前の当事者を失います。当事者の役割も失います。
そしてそれに伴い役割が変化したり、介護により環境が変化したりして、慣れ親しんできた環境を失います。自由になる時間も失います。当事者との意思疎通が悪くなったり、家族のメンバーとの考え方の相違などで家族の絆も失うことがあります。介護のために退職をせざるを得なくなり、仕事を失うこともあります。当事者と一緒に楽しみにしていた将来の計画や夢も失ってしまいます。
松本一生先生(「認知症の人と家族の会」理事ー編者注)は『認知症介護サポートマニュアル』(2007)で、介護者は日々繰り返される「対象喪失」向き合いながら介護しているとし、介護者の心のプロセスを、驚愕→否認→怒り→抑うつ→適応→再起と説明しておられます。
当事者の病気をなかったことにしたり、回りに人や、当事者、そして自分自身にぶちまけたり、落ち込んだりするのは普通のことなのです。でも、病気によるBPSD(徘徊、暴力、暴言や妄想など、認知症に伴う行動障害と精神症状ー編者注)のために傷つきとても辛いですよね。
こんな時、私もそうだったように、正しいことを言われても励まされても、体験談を聞かされても、何の役にも立ちませんよね。認知症の人だけでなく、介護者の心のことをもっとよく知ってもらいたいですよね。そっと辛い胸のうちを話せる安全な場所と信頼し合える仲間がほしいですよね。レスバイト(レスバイトは休息や息きの意。これまでデーサービスやショートステイなどの利用料をさすー編者注)もいいけれど、ただ話を聞いてもらいたいですよね。
どうかどうか、話を聞いてくれる仲間をみつけてください。そして少しずつ輪を広げていきましょう。私も、私のまわりから輪を広げて生きたいと思います。理解と援助の輪を広げましょう。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
正しいことを言われても
何の役にも立ちませんよね
(大阪府・女性47歳)
大切な家族が認知症になったら、当事者も家族もたくさんのことを喪失します。当事者は身体の機能や記憶、それまでの役割などを失います。介護者は認知症になる前に大好きだった人が病気により、別の人になってしまったような、確かに生きているのに死んでしまったような感じがして、病気になる前の当事者を失います。当事者の役割も失います。
そしてそれに伴い役割が変化したり、介護により環境が変化したりして、慣れ親しんできた環境を失います。自由になる時間も失います。当事者との意思疎通が悪くなったり、家族のメンバーとの考え方の相違などで家族の絆も失うことがあります。介護のために退職をせざるを得なくなり、仕事を失うこともあります。当事者と一緒に楽しみにしていた将来の計画や夢も失ってしまいます。
松本一生先生(「認知症の人と家族の会」理事ー編者注)は『認知症介護サポートマニュアル』(2007)で、介護者は日々繰り返される「対象喪失」向き合いながら介護しているとし、介護者の心のプロセスを、驚愕→否認→怒り→抑うつ→適応→再起と説明しておられます。
当事者の病気をなかったことにしたり、回りに人や、当事者、そして自分自身にぶちまけたり、落ち込んだりするのは普通のことなのです。でも、病気によるBPSD(徘徊、暴力、暴言や妄想など、認知症に伴う行動障害と精神症状ー編者注)のために傷つきとても辛いですよね。
こんな時、私もそうだったように、正しいことを言われても励まされても、体験談を聞かされても、何の役にも立ちませんよね。認知症の人だけでなく、介護者の心のことをもっとよく知ってもらいたいですよね。そっと辛い胸のうちを話せる安全な場所と信頼し合える仲間がほしいですよね。レスバイト(レスバイトは休息や息きの意。これまでデーサービスやショートステイなどの利用料をさすー編者注)もいいけれど、ただ話を聞いてもらいたいですよね。
どうかどうか、話を聞いてくれる仲間をみつけてください。そして少しずつ輪を広げていきましょう。私も、私のまわりから輪を広げて生きたいと思います。理解と援助の輪を広げましょう。
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2009年12月30日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
実際にはできないとわかっているから
言葉に出てしまう
(岐阜県・女性・47歳)
私は現在、若年性認知症の54歳の主人の介護をしています。夫の病気を自分なりに受け入れるには時間がかかりました。現在でも受け入れたくありません。
初めの頃、どうして主人が、どうして私が、と何度も思いました。これから先のことを考えると、とても不安になりました。でもその時は、殺したいとか死にしたいとは思いませんでした。それは病気に対する知識がなかったからです。
それから二年六ヶ月になります。その間、殺したいと思ったことは何度もありました。「うざい」「うっとおしい」といつも思っていました。でもそれを踏みとどまったのは、家族があるからだったと思います。自分を守りたいし、世間体を気にしているし、実際にはできないことだとわかっているから、言葉に出てしまうのだと思います。
私は「がんばるな」「無理するな」「背負うな」「リラックス」「ゆとりを持つ」の言葉を心におきながらいま、介護をしています。一人で悩まないで「家族の会」の人たちに相談して欲しいと思います。
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いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
実際にはできないとわかっているから
言葉に出てしまう
(岐阜県・女性・47歳)
私は現在、若年性認知症の54歳の主人の介護をしています。夫の病気を自分なりに受け入れるには時間がかかりました。現在でも受け入れたくありません。
初めの頃、どうして主人が、どうして私が、と何度も思いました。これから先のことを考えると、とても不安になりました。でもその時は、殺したいとか死にしたいとは思いませんでした。それは病気に対する知識がなかったからです。
それから二年六ヶ月になります。その間、殺したいと思ったことは何度もありました。「うざい」「うっとおしい」といつも思っていました。でもそれを踏みとどまったのは、家族があるからだったと思います。自分を守りたいし、世間体を気にしているし、実際にはできないことだとわかっているから、言葉に出てしまうのだと思います。
私は「がんばるな」「無理するな」「背負うな」「リラックス」「ゆとりを持つ」の言葉を心におきながらいま、介護をしています。一人で悩まないで「家族の会」の人たちに相談して欲しいと思います。
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2009年12月26日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会

いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
私に覚悟ができたら
母の状態も落ち着いてきました
(静岡県・女性・47歳)
義母に「えっ?」何で?」の行動が始まっって8年余りです。糖尿病から不安定狭心症、そして心臓バイパス手術を受け、その3年後のことでした。この十一年間は義母の弟、妹、姉など四人が相次いで亡くなったのも重なっていました。
症状は最近の3~4年が強く、布団や服を「若い衆が捨てる」と言っては、泣いたり、「財布がなくなった」「そうっと中身をを出していく」と泥棒扱いされたりしました。本人の気持ちがすむならと、一時期は貸金庫を借りたりしていました。夜中に子供や大人が出入りすると騒いだり、家に帰ると出かけることもあったのです。嫁を認知できず、私自身に長時間しゃべったり、書き出したらきりがありません。
義母を介護する中で私は、自分自身のある部分を見せられた気がしたのです。それは闇の部分でしょうか。もってはいけない気持ちです。子育てのときに見せられた気持ち、頭のいい子やいうことを聞く子供しか愛せないのか。答えは「いいえ」です。母のときも丈夫な母しか一緒に住めないのか、答えは「いいえ」です。
振り返ってみると自分の闇の部分を見すえることが大事ではないかという気がするのです。そしてそうならないように動く。狭い考えのとき出す結論は良い結果を生みません。勉強を始めて多少でも介護者の私自身が落ち着いたのです。覚悟ができたと申しましょうか。そしたら義母の状態も落ち着いてきました。以前のように困ることはなくなっています。
介護者の家族の方々の苦しみが、やすらかな笑顔に変る日を願ってやみません。
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超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
私に覚悟ができたら
母の状態も落ち着いてきました
(静岡県・女性・47歳)
義母に「えっ?」何で?」の行動が始まっって8年余りです。糖尿病から不安定狭心症、そして心臓バイパス手術を受け、その3年後のことでした。この十一年間は義母の弟、妹、姉など四人が相次いで亡くなったのも重なっていました。
症状は最近の3~4年が強く、布団や服を「若い衆が捨てる」と言っては、泣いたり、「財布がなくなった」「そうっと中身をを出していく」と泥棒扱いされたりしました。本人の気持ちがすむならと、一時期は貸金庫を借りたりしていました。夜中に子供や大人が出入りすると騒いだり、家に帰ると出かけることもあったのです。嫁を認知できず、私自身に長時間しゃべったり、書き出したらきりがありません。
義母を介護する中で私は、自分自身のある部分を見せられた気がしたのです。それは闇の部分でしょうか。もってはいけない気持ちです。子育てのときに見せられた気持ち、頭のいい子やいうことを聞く子供しか愛せないのか。答えは「いいえ」です。母のときも丈夫な母しか一緒に住めないのか、答えは「いいえ」です。
振り返ってみると自分の闇の部分を見すえることが大事ではないかという気がするのです。そしてそうならないように動く。狭い考えのとき出す結論は良い結果を生みません。勉強を始めて多少でも介護者の私自身が落ち着いたのです。覚悟ができたと申しましょうか。そしたら義母の状態も落ち着いてきました。以前のように困ることはなくなっています。
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タグ :認知症の人と家族の会 生きようメッセージ


