死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集
認知症の人と家族の会
いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。
吐き出す
ー言葉に出せばきっと楽になるー
私の誘いを「オラ、死ぬのはヤンダヨ」とキッパリ拒絶した姑 (宮城県・女性・55歳)
姑は、認知症と診断されてから24年間生き抜いて、98歳で天界に旅たちました。亡くなる前の3年間は老人ホームでの施設介護でしたが、ホームに入所する直前、ショートステイ、ホームヘルパーなどを利用しながら自宅で介護していた時のことです。
当時、すでに要介護5の認定を受けていた姑は、思考力だけでなく身体能力も著しく低下し、歩行、着替え、トイレ、洗面、お風呂など日常生活全般に介護が必要でした。
もともと勝気で働き者の姑は、そうした自分の状況を受け入れなかったのでしょう。イラ立ち、不機嫌でいることが大変多くなりました。介護保険のサービスも目一杯利用していましたが、毎週2日間は家族が職場や学校へと出かけた後、姑と私と二人だけで過ごさなければなりませんでした。
その日も姑は朝から落ち着かず、大声で叫んでおりました。そのつど私は姑に近寄りなだめるのですが、それも2分ともたず、唯一静かなのは食べ物を口にしている時だけと鳴りました。それを朝から何度繰り返したでしょうか。また大声を出し始めた姑に近づくと、「アンタの言葉なんか聞きだくネー」と、日ごろ、日常会話もままならない姑が激しい言葉を投げつけたのです。
そのとき、私の中で何かがプツンとはじけました。そして私は飛んでも無い言葉を吐いてしまったのです。
「お姑さん、私猛疲れ他。いっしょに死のう。死んで楽になろう」ところが姑は私の誘いをキッパリ拒絶したのです。
「オラ、ヤンダヨ。死ぬのはヤンダヨ」
ハットわれに返り、私は自分のおろかさに愕然としました。目の前の激しい現実から逃れることばかり考えて、姑の本当の気持に気づこうとしていなかったのです。姑はただただ生きようとしてもがいているだけなのだ、とやっと気づきました。
その後、朝から大声を上げていた姑はウトウトし始め、何事もなかったかのように眠りました。
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