介護は家族がかかえこまない
介護は家族でかかえこまない
認知症の人と家族の会 東京都支部 笹森貞子氏
ブログをご覧の皆さんにとても心温まる記事が載っていましたのでお届けします
金もくせいが香るころでした。人通りのない住宅地の昼下がり、息子さんらしい人と手をつないだ老婦人と出会いました。その老婦人は病気のようでした。すれ違うとき私のほうへすうっとより、小声の早口で話しかけてきました。
意味は分かりませんでしたが私は「お散歩ですかお元気でよろしゅうございましたね」と笑顔で答えました。すると、その老婦人は今度は笑顔で熱心に話を続けようとしました。私は立ち止まってゆっくりうなずきました。
そのとき、無表情の顔の息子さんらしい人が急に手を引っ張り、まるで老婦人を引きずるように遠ざかって行きました。あのときの老婦人の何か言いたげな表情がなんとも印象的でした。私も悲しい気持ちになりました。
私も認知症老人を介護した家族ですから、家族の気持ちは痛いほどよくわかります。
いまから8年前、ある国際シンポジュウムで「日本ではこの病気を恥と思い、人に知られたくないと家族で抱え込んでいる場合があるが、これは日本固有の考え方でしょうか」という私の発信に、世界からの参加者がこたえました。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国も同様に「恥ずかしい、隠したいと家族が思っていた時代があったが、いまはサービスを権利として利用するようになった」ということでした。当時どこも同じ道を通っているのだと考えたことを思い出しました。
「認知症の人と家族の会」では当初から認知症老人の介護の状態をオープンにして支援サービスを利用して、さらに出来るだけ多くの協力を得たいものです、と言い続けてきました。
しかし、残念ならがら、この病気に対する偏見がいまだにあるのを感ずることが多々あります。それは家族の側にもあるのではないでしょうか。身内の衰えを他人に話すのは辛いことです。出来れば知られたくないし、盛んに活躍していたころのイメージをそのまま持ち続けてほしいと願う気持ちもあります。
老人の病気のことは家族がどんなに口をつぐんでいても、近隣の人にはわかるものです。そして何かお手伝いできることはないかしらと思っています。でも、家族が口を閉ざしていると逆に気を使って”見てみぬ振り”をしている場合もあるようです。
どう関わったらよいのか分からないのです。家族が思い切って心の垣根を取り払い近所に協力を求めたとき皆さんのその優しさに涙がでたと多くの人は言います。私も姑の徘徊のとき、近所の人たちにとてもお世話になりました。姑が事故にも会わず過ごすことが出来たのを感謝しています。
誰もが認知症老人を特殊な目でみることなく、また、どの家族も構えることなくおおらかな気持ちで他の人をも受け入れ、みんなの協力で認知症老人を支えることのできる社会になればよいとつくづく思います。
にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい
にほんブログ
関連記事