ほがらか介護 互いの理解のために向き合う
わが家流でいい!
ほがらか介護
(介護カウンセラー羽成 幸子氏より)
互いの理解のために向き合う
どんなにお金があって地位が高くても、どんな生き方をしてきても、人生の最後、多くの人が“下の世話”になって死を迎えます。これは、病院で2日間かもしれませんし、寝たきりで何年間かもしれません。いずれにせよ、私たちは誰かの世話にならなければ、死ねないのです。
死にたどり着くまで、必ず誰かの世話になるのです。つまり、それが介護です。「老いる」ということは、体が不自由になることです。思い通りに体が動かなくなることです。ですが、これは当り前です。そう自覚して現実を受け入れることで、人からのサポートを当たり前のように受け入れることができるようになります。
といっても、私たちはサポートしてくれる人を選べません。ヘルパーさんといっても、さまざまです。さらに相性の問題もあるでしょう。これはサポートする側にも言えることです。中には“あの利用者さんの家に行くと思っただけで、頭が痛くなるわ”と思っているヘルパーさんもいるでしょう。そこで、それらの問題を乗り越えるコツは“介護する側”と”される側”の意識を変え、人間同士として向き合うことです。
ヘルパーさんはサービスを提供するのですから、お金をもらうのは当たり前。利用者はサービスを受けるのですから、お金を払うのは当然。この当たり前を踏まえて、人間同士として向き合うのです。好き嫌いという次元ではなく、老いた体をいかに支えるかをお互いに考える。つまり、二人三脚です。お互いに理解するために向き合うことです。コミュニケーションを重ねることです。
そうすることで、介護の質は上がってきます。介護内容をよりよくするのは、介護する側と、される側の、お互いの努力しかありません。こうした点からも、老いに向かう人は、、どんな人のサポートでも笑顔で受けられる、しなやかで強い自分自身をつくっておくことをお勧めします。
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