“我が家流”の見つけ方
“我が家流”の見つけ方
介護は自ら考えて生み出す「自立の学校」
(カウンセラー・エッセイイスト羽成幸子氏より)
“老い”を意識
介護に教科書はありません。人生の数だけ介護法はあります。大事なことはその中で自分だけの“我が家流”を見つけることです。他人と比べ、他人の真似ばかりしていると、次第に苦しくなっていきます。どうか、自分の介護に自信を持って下さい。介護は人それぞれ苦しみが異なります。鼻水を拭くだけで辛いという人もいれば、下の世話でも大丈夫という人もいます。その苦しみになれるためには、何度も向き合い、繰り返すしかありません。そして早い時期から心の準備をしておくことです。
よく、「介護はいつから始まるのか?」と聞かれます。私は、「自分や親の老いを意識したときが介護の始まり」といっています。老いと死は、必ず同居しています。親御さんが寝たきりになった時が、介護の始まりではありません。親が少し弱ってきたなと感じたら、頻繁に様子をみに行くことです。実家で季節の服を出したり、重いものを持ったり、庭の枝を切ってあげたりする。こうしたことも立派な介護です。
親御さんも無理をせず、子どもに頼みごとを用意しておくなど、上手に頼りにしましょう。お互いに意識した分だけ、介護の先取りは出来るものです。
答えを求めない
介護は常に大変です楽な介護などありません。私は、人生の一番厳しい修行が介護だと思っています。介護する上では、親子の人間観ジェイは、家庭の歴史もあり、そこに葛藤も生まれます。老いた親と向き合いながらも、実は自分自身と向き合うことになる。結局、介護とは自分自身との戦いなのです。
人に「優しくしよう」「親孝行しよう」と言うことは簡単ですが、実際に排泄物を処理する中では、優しさなど吹っ飛んでしまいます。それえも相手の人生や考え方、においばどを受け入れ、孤独な介護と向き合い続けて人は、自分自身との戦いに勝った人です。介護と言う美恣意現実と葛藤する中で、介護者は次第に“哲学者”になって行きます。
なぜなら介護とは、悩みながらも自分で考え、答えを生み出していく「自立の学校」だからです。介護の苦しみをいかに軽減し、楽しみを見出すかは、介護者自信の知恵であり、考え方と言えるでしょう。介護は判断の連続ですが、最近は多くの人が、すぐに答え尾求めたがります。しかし、介護の答えは1つではありません。
大事なことは自分で考えて答えを出すことです。もし駄目でも、また別の方法を考えれば良いのです。思考錯誤を繰り返す中で、出した答えは、「すべて最善を選んでいる」と考えましょう。その上で、「介護が終わったら、すべて100点」だと思ってください。
人生の一部分
「最善を選んでいる」と確信を
では介護の楽しむ為為のポイントは何でしょう。その一つは、「介護を人生の目的にしないこと」ことです。私たちは介護する為に生まれてきたのではありません。より良く生きる為に生まれてきたのです。ですから、介護者自信が自分の人生をあきらめずに夢を持ってください。私にとって介護は、人生の語句一部しかありません。30年に及ぶ介護生活の中で、私は62種類の習いごとに通いました。
自分の興味を広げ、夢を実現する為に挑戦も続けました。姑が昼ねしている時間を使って映画間に言ったり、わずかな時間を割いて、映画や芝居を見に行ったりしたこともあります。それらが人生を行き抜く「しなやかさ」になっていったのです。しなやかさとは自分自身への闘志です。様々な人と触れ合い、語りあう中で、「こんな考え方もあるんだ」という「気付き」や「発見」がある。それらが自身の人生の豊かにし、介護の現場での、様々なアイディアとし生きました。
例えば、下の世話をしているときでも、薔薇の臭いを想像してみる。下の世話をしたら、自分に何か、語法日を上げる・・・。こうした少しのアイディアとユーモアが、介護現場日潤いをもたらします。そのためにも、介護の現場から一歩引いた目で、自分の人生を見つめることを心掛けたいものです。
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