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2010年04月03日
ほがらか介護 互いの理解のために向き合う
わが家流でいい!
ほがらか介護
(介護カウンセラー羽成 幸子氏より)
互いの理解のために向き合う
どんなにお金があって地位が高くても、どんな生き方をしてきても、人生の最後、多くの人が“下の世話”になって死を迎えます。これは、病院で2日間かもしれませんし、寝たきりで何年間かもしれません。いずれにせよ、私たちは誰かの世話にならなければ、死ねないのです。
死にたどり着くまで、必ず誰かの世話になるのです。つまり、それが介護です。「老いる」ということは、体が不自由になることです。思い通りに体が動かなくなることです。ですが、これは当り前です。そう自覚して現実を受け入れることで、人からのサポートを当たり前のように受け入れることができるようになります。
といっても、私たちはサポートしてくれる人を選べません。ヘルパーさんといっても、さまざまです。さらに相性の問題もあるでしょう。これはサポートする側にも言えることです。中には“あの利用者さんの家に行くと思っただけで、頭が痛くなるわ”と思っているヘルパーさんもいるでしょう。そこで、それらの問題を乗り越えるコツは“介護する側”と”される側”の意識を変え、人間同士として向き合うことです。
ヘルパーさんはサービスを提供するのですから、お金をもらうのは当たり前。利用者はサービスを受けるのですから、お金を払うのは当然。この当たり前を踏まえて、人間同士として向き合うのです。好き嫌いという次元ではなく、老いた体をいかに支えるかをお互いに考える。つまり、二人三脚です。お互いに理解するために向き合うことです。コミュニケーションを重ねることです。
そうすることで、介護の質は上がってきます。介護内容をよりよくするのは、介護する側と、される側の、お互いの努力しかありません。こうした点からも、老いに向かう人は、、どんな人のサポートでも笑顔で受けられる、しなやかで強い自分自身をつくっておくことをお勧めします。

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ほがらか介護
(介護カウンセラー羽成 幸子氏より)
互いの理解のために向き合う
どんなにお金があって地位が高くても、どんな生き方をしてきても、人生の最後、多くの人が“下の世話”になって死を迎えます。これは、病院で2日間かもしれませんし、寝たきりで何年間かもしれません。いずれにせよ、私たちは誰かの世話にならなければ、死ねないのです。
死にたどり着くまで、必ず誰かの世話になるのです。つまり、それが介護です。「老いる」ということは、体が不自由になることです。思い通りに体が動かなくなることです。ですが、これは当り前です。そう自覚して現実を受け入れることで、人からのサポートを当たり前のように受け入れることができるようになります。
といっても、私たちはサポートしてくれる人を選べません。ヘルパーさんといっても、さまざまです。さらに相性の問題もあるでしょう。これはサポートする側にも言えることです。中には“あの利用者さんの家に行くと思っただけで、頭が痛くなるわ”と思っているヘルパーさんもいるでしょう。そこで、それらの問題を乗り越えるコツは“介護する側”と”される側”の意識を変え、人間同士として向き合うことです。
ヘルパーさんはサービスを提供するのですから、お金をもらうのは当たり前。利用者はサービスを受けるのですから、お金を払うのは当然。この当たり前を踏まえて、人間同士として向き合うのです。好き嫌いという次元ではなく、老いた体をいかに支えるかをお互いに考える。つまり、二人三脚です。お互いに理解するために向き合うことです。コミュニケーションを重ねることです。
そうすることで、介護の質は上がってきます。介護内容をよりよくするのは、介護する側と、される側の、お互いの努力しかありません。こうした点からも、老いに向かう人は、、どんな人のサポートでも笑顔で受けられる、しなやかで強い自分自身をつくっておくことをお勧めします。

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Posted by 2人3脚 at 09:05│Comments(2)
│認知症のケア・ポイント
この記事へのコメント
表題を見て「我が家流でいい!!ほがらか介護」なんて、朗らかに出来る筈
ないじゃないか!と言う気持ちで読み進みました。10年余り前、介護の辛さを
口にした時、ある友人が『病気なんだから我慢しなきゃァ』と言いました。
「そうだよな…」と思う反面、(でも何時まで我慢すればいいの?)といやァな
気分になりました。そこでこの種の話をする時は、「相手を選んでやらないと
反って落ち込んでしまうな」と覚りました。介護つきマンションに転居して間も
なく2年、入居者は全員『分かっている方』ばかり、マンションのスタッフも全員
入居者に快適に過ごしてもらう為…と言う目的意識の確りした方ばかりで、今
は安心して日々を送っております。
昨年でしたか、認知症の人と家族の会の機関誌『ぽ~れぽ~れ』」に、『色の
付いた汚れ物を始末したことのない奴に言われたくない』と言う投書があった
ような気がしましたが、これを読んでほっとしました。
私は戦後間もなく聴いた講演会で、論語には【己の欲せざるところ他に施す
なかれ】とあり、西洋の格言に"Do to others as you would be done by"(自
分が他人からして欲しいと思うことを人にしてあげなさい)という言葉がある。
と聴いて、これだ!と思い、以後座右の銘にしています。西洋の格言の方は
聖書(マタイ伝とルカ伝)にも類似の言葉が出ていました。この気持ちでほが
らか介護を続けたいと思います。
ないじゃないか!と言う気持ちで読み進みました。10年余り前、介護の辛さを
口にした時、ある友人が『病気なんだから我慢しなきゃァ』と言いました。
「そうだよな…」と思う反面、(でも何時まで我慢すればいいの?)といやァな
気分になりました。そこでこの種の話をする時は、「相手を選んでやらないと
反って落ち込んでしまうな」と覚りました。介護つきマンションに転居して間も
なく2年、入居者は全員『分かっている方』ばかり、マンションのスタッフも全員
入居者に快適に過ごしてもらう為…と言う目的意識の確りした方ばかりで、今
は安心して日々を送っております。
昨年でしたか、認知症の人と家族の会の機関誌『ぽ~れぽ~れ』」に、『色の
付いた汚れ物を始末したことのない奴に言われたくない』と言う投書があった
ような気がしましたが、これを読んでほっとしました。
私は戦後間もなく聴いた講演会で、論語には【己の欲せざるところ他に施す
なかれ】とあり、西洋の格言に"Do to others as you would be done by"(自
分が他人からして欲しいと思うことを人にしてあげなさい)という言葉がある。
と聴いて、これだ!と思い、以後座右の銘にしています。西洋の格言の方は
聖書(マタイ伝とルカ伝)にも類似の言葉が出ていました。この気持ちでほが
らか介護を続けたいと思います。
Posted by 久保田 稔 78歳 at 2010年04月03日 11:30
久保田稔様
いつもコメント有難うございます。 m(^O^)m
西洋の格言に"Do to others as you would be done by"
(自分が他人からして欲しいと思うことを人にしてあげなさい)という言葉がある。
この格言はすばらしいですね。特に認知症に自分がなった場合、どのような支援をしてほしいか、常に念頭におきながら介護したいと思っています。
いつもコメント有難うございます。 m(^O^)m
西洋の格言に"Do to others as you would be done by"
(自分が他人からして欲しいと思うことを人にしてあげなさい)という言葉がある。
この格言はすばらしいですね。特に認知症に自分がなった場合、どのような支援をしてほしいか、常に念頭におきながら介護したいと思っています。
Posted by 2人3脚
at 2010年04月03日 16:32
