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2010年05月24日
我ら「認知症の人と家族の会」代表理事のメッセージ集より
我ら認知症の人と家族の会
代表理事のメッセージ 「家族の会」30年
皆さんも入会しませんか
認知症新時代を
招きよせた軌跡と希望パート1
家族会代表理事 高見国生 プロフィール/ほぼ8年の在宅介護の末、81年春、
母を看取る。80年結成時から代表を勤める
36歳黒髪ふさふさだった私が、66歳・どこから見てもハゲ頭ー。30年の歳月の流れを思い知らざるを得ません。しかし、変わったのは私の頭だけではありません。何もできない、何も分からないと思われていた認知症の人が、思いを語る時代になりました。社会の認知症に対する理解と対策も隔世の感を覚えるほどすすみました。私たちはこの状況を「認知症新時代」と呼んでいますが、この時代の到来に先鞭を着けリードしてきたのは、まぎれもなく「家族の会」です。孤立無援・一人ぼっちで介護にあたっていた家族が、手を取りあい社会に働きかけて30年ー。「認知症新時代」を招き寄せた軌跡をたどり、これからの希望を考えます。
第1回 五つの大切なこと
「80歳の呆けた姑を抱えており精神的に疲れております。普通の会話では人一倍の理解も憎まれ口も言い、耳がよく聞こえますので、主人との会話にもひとつひとつ口を出して人十倍くらいしゃべりますが、今言ったことをすぐ忘れ、同じことを何度も何度も・・・。」会報「家族の會」創刊号(1980年2月発行)の会員の声です。どうです。今の会報『ぼ~れぽ~れ』に掲載してもそのまま通じますよね。認知症の人の症状と家族の苦労は、昔もいまもまったく変わっていないことが分かります。
当時は、認知症に対する理解も低く、国や自治体の施策も皆無で、したがって医療も福祉も、まともに認知症には向き合わなかった時代でした。「『家族の会』を結成して」と題した創刊号のあいさつで、私は次のように書いています。
『家族はもうバラバラではありません。同じ苦労をしている仲間がいます。呆け老人を抱えたのも、人生の何かの縁です。励ましあって助けあっていきましょう。 ・・・今は私たちは、家族だけの負担と犠牲で介護をしていますが、本来もっと社会の手が差し伸べられるべきです。もっと政治の光があてられるべきです』
おおかたの医師が、「呆けは治らないから医療の範疇ではない」と関わらなかった中で、当初から家族を励まし、支えてくれた早川一光医師(現・顧問)は、「ぼけを見つめるということは老いを凝視するということ」と当時から認知症問題の本質を喝破していましたし、三宅貴夫医師(同)は、「呆けの相手を知らずして世話がうまくできるはずがありません」と当時から認知症を理解することの大切さを説いていました。(いづれも会報創刊号)
初代事務局長の斉藤貞夫さんは「全国の会員を結びつけ情報を届けなければならない」と結成の翌月から会報を発行してくれました。この精神は、いまもぽ~れぽ~れに引き継がれています。
さて、以上のとおり会報の創刊号を通して当時を振り返ってみると、将来にわたる活動の基本と考え方として五つの大切なことを掲げていたことがわかります。つまり、①家族同士が励ましあい助け合うこと、②全国の会員が団結すること、③社会的対策の前進を求めること、④認知症という病気を理解すること、⑤認知症を老いと人間の問題としてとらえることです。「ぼけても安心して暮らせる社会を」や「ぼけても心は生きている」という言葉はまだ生み出していませんでしたが、やがてそれらの言葉にたどり着く要素を秘めていたといえるでしょう。
これらの中で最も大切にしてきたことは、家族同士の励ましあい助け合いと全国の会員が団結することでした。自分を育ててくれた父や母、人生をともに歩んできた配偶者などの症状の進行に対してためすすべがない悲しみとやるせなさ、愛情を持って介護しているつもりでも、時には憎しみや殺意さえ抱いてしまう苦しさー。そんなとき、同じ境遇にいる仲間を知ることは、何よりも心強いこと。自分の状況を語ることが人を励まし、人の話を聞いて自分が励まされる。
社会の理解がなく、対策も一切ない時代でも、会員が交流することで、「また来月も頑張ろう」と勇気をわかせてきたのです。それが「家族の会」のつどいです。つどいに参加できない人には会報で介護体験と情報を伝え、電話相談で悩みを聞きアドバイスしてきました。国に認知症の問題を理解してもらい対策を進めてもらうためには、全国の家族が一丸となって私達の状況と願いを伝えなければなりません。そのために組織の団結は欠かすことが出来ません。
支部の世話人を引き受けた人たちは、交通費も宿泊費も自分もちで年2回集まり、各地の状況を報告し合い活動の進め方や国への要望事項を協議しました。年2回の全国規模の集まりは、30年後の今日も、一度は京都での総会として、一度は各地で開催する支部代表者会議として引き継がれているのです。励ましあい助け合い、団結を大切にするーそのことが分裂や内紛もなく歩んでこられた理由です。それは「家族の会」30年の誇りです。 (つづく)

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代表理事のメッセージ 「家族の会」30年
皆さんも入会しませんか
認知症新時代を
招きよせた軌跡と希望パート1
家族会代表理事 高見国生 プロフィール/ほぼ8年の在宅介護の末、81年春、
母を看取る。80年結成時から代表を勤める
36歳黒髪ふさふさだった私が、66歳・どこから見てもハゲ頭ー。30年の歳月の流れを思い知らざるを得ません。しかし、変わったのは私の頭だけではありません。何もできない、何も分からないと思われていた認知症の人が、思いを語る時代になりました。社会の認知症に対する理解と対策も隔世の感を覚えるほどすすみました。私たちはこの状況を「認知症新時代」と呼んでいますが、この時代の到来に先鞭を着けリードしてきたのは、まぎれもなく「家族の会」です。孤立無援・一人ぼっちで介護にあたっていた家族が、手を取りあい社会に働きかけて30年ー。「認知症新時代」を招き寄せた軌跡をたどり、これからの希望を考えます。
第1回 五つの大切なこと
「80歳の呆けた姑を抱えており精神的に疲れております。普通の会話では人一倍の理解も憎まれ口も言い、耳がよく聞こえますので、主人との会話にもひとつひとつ口を出して人十倍くらいしゃべりますが、今言ったことをすぐ忘れ、同じことを何度も何度も・・・。」会報「家族の會」創刊号(1980年2月発行)の会員の声です。どうです。今の会報『ぼ~れぽ~れ』に掲載してもそのまま通じますよね。認知症の人の症状と家族の苦労は、昔もいまもまったく変わっていないことが分かります。
当時は、認知症に対する理解も低く、国や自治体の施策も皆無で、したがって医療も福祉も、まともに認知症には向き合わなかった時代でした。「『家族の会』を結成して」と題した創刊号のあいさつで、私は次のように書いています。
『家族はもうバラバラではありません。同じ苦労をしている仲間がいます。呆け老人を抱えたのも、人生の何かの縁です。励ましあって助けあっていきましょう。 ・・・今は私たちは、家族だけの負担と犠牲で介護をしていますが、本来もっと社会の手が差し伸べられるべきです。もっと政治の光があてられるべきです』
おおかたの医師が、「呆けは治らないから医療の範疇ではない」と関わらなかった中で、当初から家族を励まし、支えてくれた早川一光医師(現・顧問)は、「ぼけを見つめるということは老いを凝視するということ」と当時から認知症問題の本質を喝破していましたし、三宅貴夫医師(同)は、「呆けの相手を知らずして世話がうまくできるはずがありません」と当時から認知症を理解することの大切さを説いていました。(いづれも会報創刊号)
初代事務局長の斉藤貞夫さんは「全国の会員を結びつけ情報を届けなければならない」と結成の翌月から会報を発行してくれました。この精神は、いまもぽ~れぽ~れに引き継がれています。
さて、以上のとおり会報の創刊号を通して当時を振り返ってみると、将来にわたる活動の基本と考え方として五つの大切なことを掲げていたことがわかります。つまり、①家族同士が励ましあい助け合うこと、②全国の会員が団結すること、③社会的対策の前進を求めること、④認知症という病気を理解すること、⑤認知症を老いと人間の問題としてとらえることです。「ぼけても安心して暮らせる社会を」や「ぼけても心は生きている」という言葉はまだ生み出していませんでしたが、やがてそれらの言葉にたどり着く要素を秘めていたといえるでしょう。
これらの中で最も大切にしてきたことは、家族同士の励ましあい助け合いと全国の会員が団結することでした。自分を育ててくれた父や母、人生をともに歩んできた配偶者などの症状の進行に対してためすすべがない悲しみとやるせなさ、愛情を持って介護しているつもりでも、時には憎しみや殺意さえ抱いてしまう苦しさー。そんなとき、同じ境遇にいる仲間を知ることは、何よりも心強いこと。自分の状況を語ることが人を励まし、人の話を聞いて自分が励まされる。
社会の理解がなく、対策も一切ない時代でも、会員が交流することで、「また来月も頑張ろう」と勇気をわかせてきたのです。それが「家族の会」のつどいです。つどいに参加できない人には会報で介護体験と情報を伝え、電話相談で悩みを聞きアドバイスしてきました。国に認知症の問題を理解してもらい対策を進めてもらうためには、全国の家族が一丸となって私達の状況と願いを伝えなければなりません。そのために組織の団結は欠かすことが出来ません。
支部の世話人を引き受けた人たちは、交通費も宿泊費も自分もちで年2回集まり、各地の状況を報告し合い活動の進め方や国への要望事項を協議しました。年2回の全国規模の集まりは、30年後の今日も、一度は京都での総会として、一度は各地で開催する支部代表者会議として引き継がれているのです。励ましあい助け合い、団結を大切にするーそのことが分裂や内紛もなく歩んでこられた理由です。それは「家族の会」30年の誇りです。 (つづく)

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Posted by 2人3脚 at 16:40│Comments(2)
│石田 ホーム長のひとり言
この記事へのコメント
そそっかしい私、先日はずっと以前の記事にコメント書き込みまして失礼致しました。
時々あちらこちらの記事を拝見してるので、日付を間違えたようです。
お笑い下さいm(__)m
時々あちらこちらの記事を拝見してるので、日付を間違えたようです。
お笑い下さいm(__)m
Posted by 吾亦紅(われもこう) at 2010年05月25日 00:30
吾亦紅様
コメント有難うございます。
とんでもございません。今後共宜しくお願いいたします。<ペコり>
コメント有難うございます。
とんでもございません。今後共宜しくお願いいたします。<ペコり>
Posted by 2人3脚
at 2010年05月25日 09:36
