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2010年05月25日

我ら「認知症の人と家族の会」代表理事メッセージ集より

我ら認知症の人と家族の会
代表理事のメッセージ 「家族の会」30年


皆さんも入会しませんか



認知症新時代を
招きよせた軌跡と希望パート2


 家族会代表理事 高見国生  プロフィール/ほぼ8年の在宅介護の末、81年春、
                     母を看取る。80年結成時から代表を勤める



五つの大切なこと (つづき)


前回は、昔もいまも認知症の人の状態や家族の苦労はすこしも変わらないこと、30年前の結成時から、いまも生き続ける「五つの大切なこと」を提起していたことを会報創刊号を通してみてきました。




五つの大切なこととは、①家族同士が励まし合い助け合うこと、②全国の会員が団結すること、③社会的対策の前進を求めること、④認知症という病気を理解すること,⑤認知症を老いと人間の問題としてとらえること、です。そして、前回は、①と②について説明しましたが、今回は残る三つのことについて説明しましょう。




●社気的対策の前進を求めてきたこと


私が母(義母)の介護をしたのは1973年頃から81年4月まででした。失禁と何でも食べる。時々私に「どちらさん?」と尋ねる母の介護に疲れきっていた79年11月、前回紹介した早川、三宅医師らが呼びかけてくれた家族の集まりに出席しました。そこでの経験は、私にとっては生涯忘れられないほどの“衝撃”でした。




それは、自分と同じ苦労をしている人がいること、自分よりもっと大変な人がいることを知った衝撃でした。他人には話してもわかってもらえないT思っていた気持ちがわかってもらえ、、人の苦労がわがこととして心に沁みました。「俺は世界一不幸な男だ」と思っていた気持ちが少し軽くなりました。「みんな頑張っている。俺ももう少し頑張ろう」と勇気がわきました。




しかし、家に帰ったら、状態は何も変わらず同じ苦労が待っているのですから、この苦労を軽減するためには社会的対策の前進を求めることは当然のことです。社会的対策を求めるためには、家族の苦労を社会の人に知ってもらわなければなりません。会員は介護体験を語り、文章に書きました。父や母や配偶者の状態を語ることは勇気のいることでした。親戚からわが家の恥を外に漏らすな」と苦情を言われた会員もいました。




そして82年8月、10月都道府県の会員20名とともに厚生省へ赴き、大臣宛の要望書を提出しました。同省から、老人福祉課長、老人保健課長、精神衛生課長補佐らが応対してくれました。わが国で始めての認知症問題を社会化した瞬間でした。テレビ、新聞が報じてくれました。




以来今月までに33回にのぼる要望、意見、提言などを国に提出・申し入れをしてきました。90年には、「痴呆性老人対策」を厚生省の重点事項にすること、92年には初老期痴呆(若年期認知症)対策の推進、94年には老人保健福祉計画について、97年には介護保険に関することなど、常に時代を先取りする要望を行なってきました。




また、95年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震の際には緊急対策を求めました。抗認知症薬の早期開発と認可の要望も繰り返しました。昨年の要介護認定の変更問題での意見書提出はみなさんの記憶に新しいことでしょう。これらの取り組みが社会と行政の関心を高め対策の前進を促してきたのです。  




認知症という病気を理解すること


三宅貴夫医師(初代副代表、現顧問)が、会報創刊号(1980年2月)で、「呆けの相手を知らずして世話がうまくできるはずがありません」っと述べたことは、その後も「家族の会」の一貫した姿勢になりました。当時は、認知症の人の言動は、意味不明で不可解なことと思われ、どう対応してよいか分からないと思われていましたが、「家族の会」は、認知症を理解することの大切さを訴えてきました。





「ぼけても心は生きている」という言葉もなく、認知症の人が語るということもない時代で下が、病気を理解することを広めてきました。三宅医師が「誌上学習・呆けを看る」などの連載を執筆したのをはじめ、その後も、「痴呆老人の看護」(愛知・山本病院山本孝之院長)、「老いを生き、老いをみとる」(千葉大学・中島紀恵子助教授)、「老年期の精神障害」(加計町国保病院・金城博医師)、「わらべ心の老人とともに」(京大医学部・奈良道隆医師)、「痴呆性老人の介護ーいたわりをもってー」(国立菊池病院老人精神病棟)、「呆けの理解と援助」(川崎幸病院・杉山孝博副院長)など、80年代の会報だけでも以上のように医療・看護の専門家の連載が続いています。





また、83年7月にわが国でいち早く認知症専門のデイサービスを開始した群馬県・みさと保養所「提言・デイサービスのあり方」が掲載されているのも興味深いことです。(肩書きは何れも当時)




●認知症を老いと人間の問題としてとらえること


早川一光医師(現顧問)が、「ボケを看つめるということは老いを凝視するということ」と会報創刊号で指摘したこともまた、「家族の会」の基本的な姿勢として続いています。人は必ず老いる、老いの中で認知症は避けられないと考えることは、誰にも起こりうる問題として考えることです。それは後年になって「呆けても安心して暮らせる社会」という言葉を生み出すことにつながり、昨年定めた「理念」として発展しました。   (つづく)




我ら「認知症の人と家族の会」代表理事メッセージ集より







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