ブログ引越ししました。(2011年12月5日) ≫ http://aisin.i-ra.jp/
2010年07月28日
男の介護・失敗して強くなる、人間として夫婦として向き合う
男の介護
失敗して強くなる
(NPO法人「アットホームホスピス」理事長・吉田利康氏に聞く)
男性が介護にかかわることで、夫婦や家族に新しい意識が生まれることがあります。介護者全体の中で、男性の介護者は約3割。そこには、どんな苦労や発見があるのでしょう。今回は高齢者の介護とは違い、病に倒れた家族を介護するケースを考えてみます。『男の介護失敗という名のほころび』(日本評論者)の著者である吉田利康さん(NPO法人アットホームホスピス理事長)に聞きました。
妻の余命告知
私の妻が、急性骨髄性白血病で体調を崩したのは1997年でした。夫婦とも49歳のときです。1年ほど過ぎて、医師からわずかな余命が告知されました。告知後、死と正面から向き合う妻の周りに「聖域」のようなものを感じ、ある一線から向こうへ入れません。見舞いに行っても妻は「早く帰って、子供達にご飯を作ってあげて」と言うばかり。言外に、一人にしてくれ、と訴えているのです。
病室を出ると、ため息しか出ません。ある日私はベッドサイドで人目もはばからず、べそをかきました。「俺はもう、どうしたらいいのか、わからん」妻は耳元でささやきました。「心配せんでいい。病院が治せなかったら、自分で治すしかないじゃない」出口のない真っ暗なトンネルにいるのは妻のほうです。しかし、取り乱すこともなく生と死を見つめ、家族の心配までしているではありませんか。
そんな凄い人を私は背負おうとしていたのです。とんでもない傲慢です。自分のほうを高みにおいて、妻を動かそうとしていた愚かさに気づきました。
口紅と病室
そんな妻ですが、入院先とは別の病院の廊下を歩いていた時に、ふと一言漏らしました。「この病院はいいねー)「なんで?」「だって、美容室と理容室が別々にあるじゃない」男女の患者に、それぞれ髪を整える施設がありました。伸びた髪が切れれば十分だと思っていましたが、女性はやはり美容室でカットしたいものなのです。
ある美容ボランティアの人が、闘病中の女性の人に化粧をしたことがあったそうです。ほんのりと顔色がよくなり、鮮やかに口紅が引かれました。思わず夫が「きれいだね」と言うと、その女性は、ぼろぼろ涙をこぼしました。その一言を何年も待っていたのです。どれだけ床にふしていても、病人ではなく、女性としてみてもらいたいのです。
映画『おくりびと』にも、個人の愛用していた口紅を使って、美しい死に化粧が施されるシーンがあります。喪主の夫が、「あいつ・・・、今まで、いちばんきれいでした」。納棺師に深々と頭を下げます。どこまでも一対一の人間として夫婦として向き合ってあげることが、大切なのではないでしょうか。
ほころびの穴
仕事を取るか、妻を取るか悩んだ末に、私は会社を辞めて、自宅で妻を看取りました。(99年)。看護師だった妻には生前、夢がありました。「体が良くなったら、ホスピスで々悩みの人の相談に乗りたい」その医師を継ぎたいと思い、私はがん患者やその家族達と意見を交換し、ネットワークを広げて来ました。そんな介護の現場で、出会った方々事例をまとめた本が『男の介護』です。サブタイトルに『失敗という名のほころび』とつけたことには意味があります。
男の人は、どうしても「仕事感覚」を介護の現場に持ち込んでしまいます。介護日記に、何時何分とまで几帳面に書く男性が多いのは、やはり仕事の癖でしょう。スケジュールをしっかり立てても、プラン通りいかないのが介護です。綿密に立案するほど、狂いが生じ、まじめな男性ほど、介護に悩みます。あげくの果て、計画通りに動かない患者を攻めてしまったら、みんなが不幸になります。
焦らない、いらつかない。時には上手に気を抜いてください。むしろ、いかに失敗から学ぶか。考えを改めるか。それが大切です。人生の“ほころび”という小さな穴からのぞくと、大きな世界が見えるはずです。ほころびには、つぼみが開くという意味だってあるじゃありませんか。

にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい

にほんブログ
失敗して強くなる
(NPO法人「アットホームホスピス」理事長・吉田利康氏に聞く)
男性が介護にかかわることで、夫婦や家族に新しい意識が生まれることがあります。介護者全体の中で、男性の介護者は約3割。そこには、どんな苦労や発見があるのでしょう。今回は高齢者の介護とは違い、病に倒れた家族を介護するケースを考えてみます。『男の介護失敗という名のほころび』(日本評論者)の著者である吉田利康さん(NPO法人アットホームホスピス理事長)に聞きました。
妻の余命告知
私の妻が、急性骨髄性白血病で体調を崩したのは1997年でした。夫婦とも49歳のときです。1年ほど過ぎて、医師からわずかな余命が告知されました。告知後、死と正面から向き合う妻の周りに「聖域」のようなものを感じ、ある一線から向こうへ入れません。見舞いに行っても妻は「早く帰って、子供達にご飯を作ってあげて」と言うばかり。言外に、一人にしてくれ、と訴えているのです。
病室を出ると、ため息しか出ません。ある日私はベッドサイドで人目もはばからず、べそをかきました。「俺はもう、どうしたらいいのか、わからん」妻は耳元でささやきました。「心配せんでいい。病院が治せなかったら、自分で治すしかないじゃない」出口のない真っ暗なトンネルにいるのは妻のほうです。しかし、取り乱すこともなく生と死を見つめ、家族の心配までしているではありませんか。
そんな凄い人を私は背負おうとしていたのです。とんでもない傲慢です。自分のほうを高みにおいて、妻を動かそうとしていた愚かさに気づきました。
口紅と病室
そんな妻ですが、入院先とは別の病院の廊下を歩いていた時に、ふと一言漏らしました。「この病院はいいねー)「なんで?」「だって、美容室と理容室が別々にあるじゃない」男女の患者に、それぞれ髪を整える施設がありました。伸びた髪が切れれば十分だと思っていましたが、女性はやはり美容室でカットしたいものなのです。
ある美容ボランティアの人が、闘病中の女性の人に化粧をしたことがあったそうです。ほんのりと顔色がよくなり、鮮やかに口紅が引かれました。思わず夫が「きれいだね」と言うと、その女性は、ぼろぼろ涙をこぼしました。その一言を何年も待っていたのです。どれだけ床にふしていても、病人ではなく、女性としてみてもらいたいのです。
映画『おくりびと』にも、個人の愛用していた口紅を使って、美しい死に化粧が施されるシーンがあります。喪主の夫が、「あいつ・・・、今まで、いちばんきれいでした」。納棺師に深々と頭を下げます。どこまでも一対一の人間として夫婦として向き合ってあげることが、大切なのではないでしょうか。
ほころびの穴
仕事を取るか、妻を取るか悩んだ末に、私は会社を辞めて、自宅で妻を看取りました。(99年)。看護師だった妻には生前、夢がありました。「体が良くなったら、ホスピスで々悩みの人の相談に乗りたい」その医師を継ぎたいと思い、私はがん患者やその家族達と意見を交換し、ネットワークを広げて来ました。そんな介護の現場で、出会った方々事例をまとめた本が『男の介護』です。サブタイトルに『失敗という名のほころび』とつけたことには意味があります。
男の人は、どうしても「仕事感覚」を介護の現場に持ち込んでしまいます。介護日記に、何時何分とまで几帳面に書く男性が多いのは、やはり仕事の癖でしょう。スケジュールをしっかり立てても、プラン通りいかないのが介護です。綿密に立案するほど、狂いが生じ、まじめな男性ほど、介護に悩みます。あげくの果て、計画通りに動かない患者を攻めてしまったら、みんなが不幸になります。
焦らない、いらつかない。時には上手に気を抜いてください。むしろ、いかに失敗から学ぶか。考えを改めるか。それが大切です。人生の“ほころび”という小さな穴からのぞくと、大きな世界が見えるはずです。ほころびには、つぼみが開くという意味だってあるじゃありませんか。

にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい

にほんブログ
Posted by 2人3脚 at 16:06│Comments(0)
│石田 ホーム長のひとり言