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2010年12月14日
第30回全国中学生人権作文コンテスト県大会最優秀賞記事
第30回全国中学生
人権作文コンテスト県大会
第30回全国中学生人権作文コンテスト静岡県大会(静岡地方法務局、県人権擁護委員連合会主催、全国地方新聞社連合会人権啓発事業実行委員会共催、県教育委員会、県私学協会、静岡新聞社・静岡放送、NHK静岡放送局後援)の最終審査会がこのほど、静岡市内で行なわれました。総応募作品15,377点の中から最優秀賞に選ばれた作品を紹介します。
<企画制作/静岡新聞社営業局>
最優秀賞に時田さん(富士・田子浦)
守田さん(静大付属浜松)
今回はもう一人の最優秀賞の森田幸平さんの記事を載せていきます。自分も障害を抱えているのに、脳梗塞で倒れた祖父の自助具を多くの方の手助けを借りながら作成した、心温まるホットな家族愛で感動しました。
祖父への靴下
静岡大学教育学部付属浜松中学校三年 守田 幸平
僕は、祖父のために自助具を作ろうと思った。祖父は去年の夏、脳梗塞で倒れた。祖父は一命を取り留めたものの右手と右足が麻痺してしまったのだ。その三週間前、僕も車椅子から転倒して、足を骨折した。僕には障害がある。車椅子で生活することが多い。しかし、僕のことを障害者だといって差別する人は一人もいない。
祖父は、歩けるようになりたいという気持ちが強かった。だから、リハビリを頑張り、自分で歩けるようになるまで回復した。頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った。祖父は、リハビリを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまった。だから、ご飯を食べるときも服を着替える時も時間がかかる。普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言っていた。僕も何か役に立てることはないかと考えた。
僕の学校には総合学習という授業がある。そこで、僕は、福祉というカテゴリーを選んだ。自分で社会に役く立てることを考え、実際に行動することが目標だった。僕は障害者のために何ができるかを考えた。僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを考えるプロジェクトがあるのを新聞で知った。それは大学生たちが個人個人にあった自助具をつくるプロジェクトだった。僕は、障害者のために何かできるのではと感じた。
僕は静岡文化芸術大学へ行って、僕にもできることはないかと聞いた。すると、学生さんが自助具を作ってみないかと声をかけてくれた。僕はまよわず「はい」と言った。障害者のために役に立てることがあると思うと、すばらしいことだと思ったからだ。祖父のつらい顔を見ると、日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる。
僕は、祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った。祖父のために自助具を考え、作ろうと僕は思った。祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出した。そこで、脱ぎ履きしやすい靴下はないかと考えた。靴下の両脇に紐を取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み、脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ。
大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてくれた。これは、障害者だけでなく健常者にも使えると言われた。ユニバーサルデザインだとわかった。ユニバーサルデザインとは、年齢や障害の有無にかかわらず、すべての人が使いやすいように工夫された用具などのデザインである。境界がなくなるように、健常者が障害者に対する偏見を考え、差別意識がなくなるチャンスだと思った。障害者と健常者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った。
自助具の作品展では、杖をついているお年寄り、車椅子に乗った若い女性、目の見えない人、福祉関係者などたくさんの人々が観に来ていた。皆、自分の生活を良くしようと思っているようだった。また、障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるようだった。
二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問した。デイサービスには65歳以上のお年寄りがいた。暗く元気のない人、明るく振る舞い誰とでも話せる人など、様々だった。しかし、僕が一番印象に残ったのは、笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった。お年寄りの中には、悩みを抱えている人が多いそうだ。その悩みを解消させる人もまた介護士だった。僕は、介護士がお年寄りの体を支えるだけでなく、心もそっと支えて、生きる喜びを与えているのだと感じた。
現代は、三世代で暮らす家族が減り、核家族が増えている。それは、お年寄りの世話が大変だからという理由が多い。だから、老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には思えた。お年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそうだ。それはお年寄りにとって、辛く悲しいことだと思う。
ある介護士がこんなことをおっしゃっていた。「人の優しさはお金では買えない」誰にも優しい心があると思う。しかし、あと一歩のところで行動に移すことができない人が多いのだ。僕たちが平和な社会で暮らせるのは、今まで頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを忘れてはいけない。お年寄りを大切にすることは当たり前のことなのだ。
また、障害者に対しても偏見の目で見ないで、そっと近づいて手を貸してあげれば健常者と障害者との高い大きな壁を崩すことができると思う。障害者にも高齢者にも、また健常者にも、人権はある。お互いの人権を大切にすることが、明るい未来に繫がっていくのだと思う。早く祖父に僕の作った靴下を届けたい。
<ホーム長のつぶやき>
守田君の作文も素晴らしい!感動しました。自分も障害者で骨折までしているのに、その生活のしづらさは表面に出していません。お年寄りの生きてきた過程に対して尊敬の念を抱き見つめています。家族の愛情の深さも感じました。積極的に大学に出かけられ、専門家のアドバイスを仰ぎます。その積極性が多くの人たちの協力が得られ、自分の思いを成し遂げました。
また、高齢社会を鋭い感性で見つめています。最後の言葉は障害者に対して偏見の目で見ないで、そっと近づいて手を貸してあげれば、と述べています。彼も車椅子に乗っています。さぞ不自由差を感じていることでしょう。そこで手を貸す勇気が持てれば、健常者と障害者との大きな壁を崩すことができると言っています。その勇気を私たち健常者は持ちたいものです。障害害が何を望んでいるかを瞬時に判断し、手を貸してあげられたらと思った。
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第30回全国中学生人権作文コンテスト静岡県大会(静岡地方法務局、県人権擁護委員連合会主催、全国地方新聞社連合会人権啓発事業実行委員会共催、県教育委員会、県私学協会、静岡新聞社・静岡放送、NHK静岡放送局後援)の最終審査会がこのほど、静岡市内で行なわれました。総応募作品15,377点の中から最優秀賞に選ばれた作品を紹介します。
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最優秀賞に時田さん(富士・田子浦)
守田さん(静大付属浜松)
今回はもう一人の最優秀賞の森田幸平さんの記事を載せていきます。自分も障害を抱えているのに、脳梗塞で倒れた祖父の自助具を多くの方の手助けを借りながら作成した、心温まるホットな家族愛で感動しました。
祖父への靴下
静岡大学教育学部付属浜松中学校三年 守田 幸平
僕は、祖父のために自助具を作ろうと思った。祖父は去年の夏、脳梗塞で倒れた。祖父は一命を取り留めたものの右手と右足が麻痺してしまったのだ。その三週間前、僕も車椅子から転倒して、足を骨折した。僕には障害がある。車椅子で生活することが多い。しかし、僕のことを障害者だといって差別する人は一人もいない。
祖父は、歩けるようになりたいという気持ちが強かった。だから、リハビリを頑張り、自分で歩けるようになるまで回復した。頑張っている祖父がかっこいいと僕は思った。祖父は、リハビリを頑張ったにも関わらず右手がうまく動かせなくなってしまった。だから、ご飯を食べるときも服を着替える時も時間がかかる。普段何気なくやっていた動作がとても大変だと祖父は言っていた。僕も何か役に立てることはないかと考えた。
僕の学校には総合学習という授業がある。そこで、僕は、福祉というカテゴリーを選んだ。自分で社会に役く立てることを考え、実際に行動することが目標だった。僕は障害者のために何ができるかを考えた。僕は二年前に静岡文化芸術大学で障害者がいかに日常生活で不自由のない生活ができるかを考えるプロジェクトがあるのを新聞で知った。それは大学生たちが個人個人にあった自助具をつくるプロジェクトだった。僕は、障害者のために何かできるのではと感じた。
僕は静岡文化芸術大学へ行って、僕にもできることはないかと聞いた。すると、学生さんが自助具を作ってみないかと声をかけてくれた。僕はまよわず「はい」と言った。障害者のために役に立てることがあると思うと、すばらしいことだと思ったからだ。祖父のつらい顔を見ると、日常生活に数々の大きな壁があることが伝わってくる。
僕は、祖父の数々の大きな壁を突き破ろうと思った。祖父のために自助具を考え、作ろうと僕は思った。祖父が靴下の脱ぎ履きが大変だと言っていたことを思い出した。そこで、脱ぎ履きしやすい靴下はないかと考えた。靴下の両脇に紐を取り付けてそれを引っ張ると靴下が縮み、脱ぎ履きしやすくなる仕組みだ。
大学の先生も良いアイディアだと言って褒めてくれた。これは、障害者だけでなく健常者にも使えると言われた。ユニバーサルデザインだとわかった。ユニバーサルデザインとは、年齢や障害の有無にかかわらず、すべての人が使いやすいように工夫された用具などのデザインである。境界がなくなるように、健常者が障害者に対する偏見を考え、差別意識がなくなるチャンスだと思った。障害者と健常者が共によりよく生きることが大切だと僕は思った。
自助具の作品展では、杖をついているお年寄り、車椅子に乗った若い女性、目の見えない人、福祉関係者などたくさんの人々が観に来ていた。皆、自分の生活を良くしようと思っているようだった。また、障害者のためにできることは何だろうかと考えている健常者もいるようだった。
二年生の時の総合学習では二箇所のデイサービスを訪問した。デイサービスには65歳以上のお年寄りがいた。暗く元気のない人、明るく振る舞い誰とでも話せる人など、様々だった。しかし、僕が一番印象に残ったのは、笑顔を絶やさず優しくお年寄りに接していた介護士だった。お年寄りの中には、悩みを抱えている人が多いそうだ。その悩みを解消させる人もまた介護士だった。僕は、介護士がお年寄りの体を支えるだけでなく、心もそっと支えて、生きる喜びを与えているのだと感じた。
現代は、三世代で暮らす家族が減り、核家族が増えている。それは、お年寄りの世話が大変だからという理由が多い。だから、老人ホームやデイサービスに預ける人が増えていると僕には思えた。お年寄りの中には自分が嫌われているのではないかとさえ思ってしまう人もいるそうだ。それはお年寄りにとって、辛く悲しいことだと思う。
ある介護士がこんなことをおっしゃっていた。「人の優しさはお金では買えない」誰にも優しい心があると思う。しかし、あと一歩のところで行動に移すことができない人が多いのだ。僕たちが平和な社会で暮らせるのは、今まで頑張ってきてくれたお年寄りのお陰であることを忘れてはいけない。お年寄りを大切にすることは当たり前のことなのだ。
また、障害者に対しても偏見の目で見ないで、そっと近づいて手を貸してあげれば健常者と障害者との高い大きな壁を崩すことができると思う。障害者にも高齢者にも、また健常者にも、人権はある。お互いの人権を大切にすることが、明るい未来に繫がっていくのだと思う。早く祖父に僕の作った靴下を届けたい。
<ホーム長のつぶやき>
守田君の作文も素晴らしい!感動しました。自分も障害者で骨折までしているのに、その生活のしづらさは表面に出していません。お年寄りの生きてきた過程に対して尊敬の念を抱き見つめています。家族の愛情の深さも感じました。積極的に大学に出かけられ、専門家のアドバイスを仰ぎます。その積極性が多くの人たちの協力が得られ、自分の思いを成し遂げました。
また、高齢社会を鋭い感性で見つめています。最後の言葉は障害者に対して偏見の目で見ないで、そっと近づいて手を貸してあげれば、と述べています。彼も車椅子に乗っています。さぞ不自由差を感じていることでしょう。そこで手を貸す勇気が持てれば、健常者と障害者との大きな壁を崩すことができると言っています。その勇気を私たち健常者は持ちたいものです。障害害が何を望んでいるかを瞬時に判断し、手を貸してあげられたらと思った。

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Posted by 2人3脚 at 07:00│Comments(0)
│石田 ホーム長のひとり言