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2010年12月25日

不況下で読まれる松下幸之助・ちょっと興味ある記事を見つけた

不況下で読まれる松下幸之助
             (佐藤悌二郎・松下幸之助の経営観、人間観などの研究)


生涯、心の若さを失わず
学び、思索し、成長し続けた人





松下幸之助が亡くなって、はや二十一年が過ぎました。しかし今でも、現役の経営者であるかのようにその書籍は売れ続けています。特に、経営環境が厳しくなり、不況になればなるほど、松下幸之助が見直され、読まれるという傾向があります。それは、幾多の不況や困難に遭遇したにもかかわらず、松下電器(現パナソニック)を一代で世界的企業に育て上げた実績もさることながら、そのものの考え方行きかたに普遍的な真理を感じておられるからではないでしょうか。





松下幸之助との道行きは昭和五十五年にPHP研究所に入社してから、三十年になりました。この三十年間、直接間接に接してきた中から、“松下の生き方で生涯一貫していたことは何か”と考えたとき、いちばんに思い浮かぶのは、「止まることなく学び、思索し、成長し続けた」ということです。





故山本七平氏は「デカルトは、“社会というのは膨大な書物である”という言葉を残したが、松下さんはその社会という膨大な書物をきめ細かに読んできた人ではないか。そこから、あの洞察力が生まれてきているのでしょう。とおっしゃったことがあります。確かに松下は、膨大な書物といえるこの社会をきめ細かに読み、そこから実に多くのものを学んだ人だったと思います。





以前、YPO(青年社長会)の世界大会が、東京のホテルニューオータニで開催され、松下が招かれてスピーチしたことがありました。昭和五十八年、松下が八十八歳のときのことです。講演後の質疑応答で、ある外国人経営者から、「大きな成功を収めているにもかかわらず、これまでの話を聞くと、非常に謙虚な方だと受けとめた。その謙虚さはどのようにして維持されているのか」という質問が出ました。




その時松下は、「僕は謙虚にしているとか、していないとかということは意識していませんが、何ごとによらず、衆知によらないといかんと思うんです。十人の人がいれば十人の人の知恵を百人の人がいれば百人の人の知恵を借りる。一億人いれば一億人の知恵を借りるという心がまえでやっているんです。だから、皆さんはじめ、この家屋、電灯、光、全部がわが師である。どこでも私よりえらい人ばかりがいる。私がいちばんあかん、そういう考えでやっているんです」と答えています。





このように松下は、常に“すべてわが師”という思いで、一つひとつの体験や見聞から学び、考え、そこから何かの教訓を導き出して、それをその後の考え方、行き方に生かそうとしていたわけですが、その中のお一人が池田名誉会長であったといえるでしょう。







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