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2011年06月16日

ターミナルケアと見取りの考え方・始まりがあれば終わりあり

「始まりが」があれば「終わり」がある― 人生もまた同じ。しかし、高齢者や介護者の思いはそんなに単純ではなく、看取った人が後悔の念を抱くことも少なくありません。長年、保健師や介護支援専門員として活躍し、都内の特別養護老人ホーム副施設長などを13年勤め、ターミナルケア(終末期医療)に携わってきた鳥海房江さんに聞きました。
                               6/15付  聖教新聞  介護より




ターミナルケアと看取りの考え方




死を特別視しない


ターミナルケアは、医療効果が期待できず死期が迫った方に対して、延命治療ではなく、具体的・精神的な苦痛を取り除くケアを行うものです。死への恐怖を和らげ、残りの人生を充実させるもので、「緩和ケア」と呼ばれます。特殊なケアに思われますが、私が勤務していた施設では、食事や排泄、入浴などの基本的なケアを、最後まで徹底して行うことでした。





そもそも、人の死は特別なことではなく、生まれれば、いつかは終わる時を迎えます。ところが今は、約8割以上の人が病院で亡くなっています。そのため"人生の終わり”が見えにくく、死が特別視されやすくなってしまいました。また、老いを否定する生き方は、やがて自分がつらくなると思います。人は老いていく体と、どこかで心の折り合いをつけなければならない時期が来ます。





"ピンピンコロリ”が理想の死と言う人もいますが、、脳卒中や心臓発作などに突然の死も、ピンピンコロリ。しかし、遺族は予期せぬ出来事に悲しみを深くするでしょう。皆、誰かの世話になって生まれたように、人生の最後も看護や介護で誰かの世話になっていいのです。それが「人」であり、だからこそ、ターミナルケアーが重要なのです。





日常の継続目指す


私は施設で多くの方の死に接してきましたが、その死期の見極めは困難です。施設ではターミナル期を迎えたと判断する基準を、元気なときに比べ、①体重が2割減少②食べる量が大幅減少③声が小さくなった、などとしていました。しかし、これは死の“黄色信号”で、その後、数ヶ月~数年生きられることも珍しくありませんでした。ターミナルを7回宣告されても、なお生き続けた方もおられました。





時が来たら、最期をどう迎えるか、家族と看取りを考えます。家族の中には、状態に応じ医療を受ければ、回復すると考えている方もいるようです。老いによる看取りでは、、「医療にも限界がある」と認識することを勧めます。懸命な判断が必要ですが、例えば体が吸収しきれないほどの点滴は、逆に負担になり、遺体にも表れます。私は遺族が“遺体を正視できるケア”を心掛け、死後は「これでよかった」と言っていただけるかを優先ししました。“遺体ケアは通信簿”です。入居者本人が喜び、体が清潔になるよう、入浴は手早く短時間で行える工夫をして、できる限り湯船に入ってもらいました。日本人の生活習慣を大切にした「日常生活の継続」を目指したのです。





家族も「やりきった」


“最期は住み慣れた家で”と願う人は多いですが、実際に自宅で看取りまで行なうことは難しいのが現状です。私がいた施設では、退所者の8割から9割が施設で他界。昼間なら館内放送で知らせて、最後は正面玄関から、他の入居者と一緒に見送りもします。入居者の死を隠さない送り方に、ある入居者は「先々、何の心配もなくなった。安心してここで死ねる」と。死のイメージが出来たことで、逆に安心されたのです。





また、エンゼルケア(死後の処置)では、本人が好きだった服を“旅立ちの衣装”にします。元歌手の入居者に「最後の舞台では何が着たい?」と伺い、着物を用意したこともあります。また、遺族には故人が生前、好物を食べられた話など、三つ以上のすてきなエピソードを語れるように努めています。





これは遺族のへのグリーフケア(悲嘆ケア)になります。一緒に泣いて笑って、ほとんど最後は笑って終わり。ともに「やりきった」という思いに至ります。死は必ず訪れる―だからこそ高齢者が楽しみを見つけ、生きる喜び、人生への満足感をもって臨終を迎えられるよう、そして家族も納得して見送れるよう、ターミナルケアの充実がますます必要になるでしょう。







<ホーム長のつぶやき>




鳥海さんとは身体拘束ゼロ作戦のセミナーの際、お話をお聞きしたことがありました。まだ私が鷹岡病院の看護課長をとして勤務している時、この研修に参加し、身体拘束ゼロに向けて取り組み始めたきっかけを作ってくれた方でした。ターミナルケアの思いはこの仕事をはじめて4年目にそろそろなりますが、まさに私が実践していることです。自分がどんな最期を迎えたいか家族と話し合う良いきっかけが作れればと思います。






4年の経過の中で在宅でのF様の看取りを ブログにアップしたところ、自分の母にもそんな看取りを選択したいというご家族が増えました。K様の看取りもそんな中での看取りでした。昨年12月に2人3脚に勤務した長男(専務)は家族の一員として奮闘しているターミナルケアのあり方を感じ取っていたのか、つい最近になって近隣に折込みチラシを500部配布しました。それはざっとこんな内容のチラシでした。






―在宅の終わりをご自宅で過ごしませんか?ー人生の終わりは自宅で・・・・っと考えるのは、誰もが思うことです。しかし現実は①医療体制の不安②家族への負担③本人の負担等の問題点を考えると自宅で家族に看取られて最期を迎えるのはとても難しく現実的に不可能と思っておられる方が多いと思います。そこで・・・・→2人3脚では、本人及び家族を支援します。というチラシを作ったのです。介護をはじめて間がないのに私が取り組んでいるターミナルケアを感じ取っていたのです。医療連携している高木先生とのやり取りを感じ取っていたのでした。本当に驚きました。近隣地域から反応がありました。自宅や施設で人間らしく、その人らしく看取ることが可能な2人3脚の取り組みは、職員全員が家族に代行して多くの愛情を注いでいるからこそできること。そんなスタッフに感謝!







%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB.pdf (PDF: 318KB)


 

チラシの内容はこちらをご覧ください








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