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2010年03月16日

グループホームでは小物作り



作品作りをするため、小さなロールの巻紙を入れる小物を作っていただきました

牛乳パックが大変身しました。とってもかわいらしい小物入れ完成!プレゼント


























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Posted by 2人3脚 at 13:33Comments(0)2人3脚の日常

2010年03月16日

昼食のメニューづくりのお手伝いツナ入りじゃが芋もち



今日の昼食メニューはツナ入りじゃが芋餅

じゃが芋をむき、すりおろして小麦粉合わせ調味料

を入れフライパンで焼いていきます。スプーンとフォーク

沢山のじゃが芋も皆でやればあっという間に出来上がり


どんなもちもちじゃが芋になるのでしょうか。昼食が楽しみですね顔12























 










昼食は麻婆豆腐、じゃが芋餅、豚汁 、リンゴのデザート

じゃが芋餅はぬれせんべいの味に似ています顔12

とっても美味しかった。利用者さんたちにも好評でした。






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Posted by 2人3脚 at 10:33Comments(2)2人3脚の日常

2010年03月16日

死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集より

認知症の人と家族の会






いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。



委ねる

自分が壊れてしまう前に



とどまったのは 
そのときたまたま代車だったから

                               (埼玉県・女性・61歳)



私は、夫の両親の介護を同時にしていたときがつらい時期でした。殺したいとまでは、理性が働いたのかそれはヤバイと思い考えませんでしたが、早く死んでくれればいいのに、とは毎日思っていました。



平成七年の一月、それまでの別棟の暮らしをやめ、介護のため立て直した家に同居し始めると、もともと脳梗塞を患っていた義父が急速に衰え、オムツをしてほぼ寝たきり状態になりました。ほどなく平成8年の始め頃から義母に認知症の症状が出始め、「父が具合悪くなり、入院してくれれば楽になるのに」と願い、実際にそうなると何とか母一人だけにになり、ホッとしたのも覚えています。



翌9年の二月中旬、娘の入学試験の最中に夫が心筋梗塞デ倒れた時は、絶体絶命のピンチでした。同五月に義父は特養に措置入所、義母は老健に入所し、、その施設料の支払いのため、、私はスパーのパートで働き始めました。



義父を老健から特養に移した時、夫の態度がおかしく、特養の受け入れ時の看護師さんに「ご主人どうされたのですか、奥さんも大変ですね。」と言われました。夫は身体が快復したのに精神がついていけず、まだ仕事に復帰できずにいた時でした。




義父を特養に送りとどけた後、たりない衣類に気づき、私は一人で届けた帰り、国道と交差するトンネル壁にぶつかればきっと死ねるだろうな、と一瞬思いましたが、とどまりました。そのわけは、その日は車を修理に出しており、自動車修理工場の代車を使っていたからです。



もし私が事故を起こしたら、自動車屋さんも困るし、夫の損保会社(勤務先)にも迷惑をかけると思ったのです。翌日、市の高齢者福祉課の担当の女性に話すと「それだけはなさらないで下さいね」と真剣に言われました。




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