ブログ引越ししました。(2011年12月5日) ≫ http://aisin.i-ra.jp/
2010年03月23日
今日は脳トレの日

今日は脳トレの日です。
漢字の勉強を午前行いました。


午後は桜の樹の写真集でお勉強
樹齢1200年 山形県長井市上伊佐沢蜂屋敷 久保桜



樹齢200年
山高の神代桜 江戸彼岸桜 山梨県北杜市武川町山高

2010年03月23日
K様の看取り
家族の愛情を一杯注がれての素晴らしい看取りに立ち会えて
F様の看取りのブログで感銘
K様のご家族から「F様のブログ記事を見て感銘しました。看取りの時期がきたら、2人3脚で母らしくターミナルケアをしていただきたい」と常日頃から聞いていましたので、その時のために、我々スタッフも医療や医療連携・緊急時の対応が出来るように、勉強会を重ねていました。
そんな折、今月に入ると昼夜眠っていることが多くなってきました。食事や水分が摂取できなくなり、酸素吸入や点滴で対応していました。また、左足の下肢の血流が悪くなってきたため、3/3富士市立中央病院へ緊急で検査受診しMRI ,CT造影の結果右足の静脈血栓症が見つかりました。左足はかろうじて毛細血管で血流が保たれている状態でした。
11/5居室で転倒、富士市立中央病院に受診しましたが右大腿骨の打撲で骨折ではありませんでしたが、それを機に、徐々に車椅子から、寝たきりの状態になってしまい臥床時間が増え、眠っている時間が多くなってきました。高齢者はちょっとした引き金から重篤な状態に移行してしまいます。今から考えますと、転倒の原因は静脈血栓のためだと思われます。
K様は、平成20年3月20日94歳の時、グループホームへ車椅子で入居されました。ちょうどまる2年になります。笑顔の優しい温厚な人柄で、スタッフや、利用者さんのアイドル的な存在でした。
夫が戦死後、女手一人で四人のお子様を製紐工場で働きながら育て上げ、とってもご苦労されたようでした。晩年は(定年後)は老人仲間と踊りを楽しまれ、よく長岡温泉へ定期的に踊りに行っていた時の様子を、我々スタッフに生きいきと話されていたことを昨日のことのように思い出されます。また、四人の子供や孫、ひ孫のお話もとっても生きいきと印象的に話をされていました。歌も大好きで特に「芸者ワルツ」はK様の十八番でしたね。社交的で誰にも優しく接し、大勢のお仲間がおられたようで、このことからもお人柄が伺えました。
今月に入り、毎日のようにご家族様が面会にいらっしゃいました。2人3脚が自宅ですので気軽に昼夜問わずお越しくださいました。大家族の愛情を一杯受け本当に幸せそうでしたね。「15人もひ孫がいるんじゃ、葬儀のとき自宅に入れないね-。段取りをしっかりするように」と次男さんに話されていました。“自分の死としっかり向き合っている姿に感動しました”
一昨夜3月21日22時35分急に容態が変わり、最後次男さんやお孫さんとK様に話しかけるように思い出話を一杯しました。そんな中、静かに旅たたれていきました。とても良い看取りできました。長い間お疲れ様でした。戦死されたご主人と天国で再会されるのでしょうね。つい最近ロシアで戦死された亡きご主人の命日が1月ではなく3月24日と判明された矢先のことでした。医療連携をさせていただいている高木先生、頻回に訪問診療していただき、ご家族が望まれる看取りが出来たことを感謝申し上げます。
-合掌-

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F様の看取りのブログで感銘
K様のご家族から「F様のブログ記事を見て感銘しました。看取りの時期がきたら、2人3脚で母らしくターミナルケアをしていただきたい」と常日頃から聞いていましたので、その時のために、我々スタッフも医療や医療連携・緊急時の対応が出来るように、勉強会を重ねていました。
そんな折、今月に入ると昼夜眠っていることが多くなってきました。食事や水分が摂取できなくなり、酸素吸入や点滴で対応していました。また、左足の下肢の血流が悪くなってきたため、3/3富士市立中央病院へ緊急で検査受診しMRI ,CT造影の結果右足の静脈血栓症が見つかりました。左足はかろうじて毛細血管で血流が保たれている状態でした。
11/5居室で転倒、富士市立中央病院に受診しましたが右大腿骨の打撲で骨折ではありませんでしたが、それを機に、徐々に車椅子から、寝たきりの状態になってしまい臥床時間が増え、眠っている時間が多くなってきました。高齢者はちょっとした引き金から重篤な状態に移行してしまいます。今から考えますと、転倒の原因は静脈血栓のためだと思われます。
K様は、平成20年3月20日94歳の時、グループホームへ車椅子で入居されました。ちょうどまる2年になります。笑顔の優しい温厚な人柄で、スタッフや、利用者さんのアイドル的な存在でした。
夫が戦死後、女手一人で四人のお子様を製紐工場で働きながら育て上げ、とってもご苦労されたようでした。晩年は(定年後)は老人仲間と踊りを楽しまれ、よく長岡温泉へ定期的に踊りに行っていた時の様子を、我々スタッフに生きいきと話されていたことを昨日のことのように思い出されます。また、四人の子供や孫、ひ孫のお話もとっても生きいきと印象的に話をされていました。歌も大好きで特に「芸者ワルツ」はK様の十八番でしたね。社交的で誰にも優しく接し、大勢のお仲間がおられたようで、このことからもお人柄が伺えました。
今月に入り、毎日のようにご家族様が面会にいらっしゃいました。2人3脚が自宅ですので気軽に昼夜問わずお越しくださいました。大家族の愛情を一杯受け本当に幸せそうでしたね。「15人もひ孫がいるんじゃ、葬儀のとき自宅に入れないね-。段取りをしっかりするように」と次男さんに話されていました。“自分の死としっかり向き合っている姿に感動しました”
一昨夜3月21日22時35分急に容態が変わり、最後次男さんやお孫さんとK様に話しかけるように思い出話を一杯しました。そんな中、静かに旅たたれていきました。とても良い看取りできました。長い間お疲れ様でした。戦死されたご主人と天国で再会されるのでしょうね。つい最近ロシアで戦死された亡きご主人の命日が1月ではなく3月24日と判明された矢先のことでした。医療連携をさせていただいている高木先生、頻回に訪問診療していただき、ご家族が望まれる看取りが出来たことを感謝申し上げます。
-合掌-

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