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2010年01月21日

人体には多くの常在菌が

人体には多くの常在菌が
                              (生物学研究所所長 青木皐氏(ノボル)より

悪玉も免疫系で役に立っている

健康の源は食生活から

最も多い常在菌は「腸内細菌」です。
ほとんどの大腸に500種類の細菌が住み着いていています。最も多いのは、大腸菌の仲間です。大腸菌と聞くと悪者の親玉のように思いますが、大腸菌を保有してない人はいないです。時々悪さをする大腸菌(病原性大腸菌)の仲間が問題になることで悪者扱いになります。




もうひとつは、大腸菌は人の肛門からしか排出されませんから、大腸菌が食品や水から検出されると「糞便由来汚染」ということになり、問題視されます。




大腸菌の仲間が腸内にいないと、肉や魚などのたんぱく質は上手に消化されません。最も消化に役立つのが、乳酸菌の仲間のビフィズス菌です。あかちゃんの時の腸内細菌はほとんどがビフィズス菌です。おっぱいを飲んでビフィズス菌でしっかり消化して栄養を吸収しています。





このときの赤ちゃんの「うんこさん」は臭くありません。ところが年齢を重ねるごとにビフィズス菌の比率が下がって、大腸菌やその他の菌が増加してきます。そうすると消化が悪くなり便秘を引き起こし、うんこさんが臭くなります。




それでは悪玉菌を排除すれば良いのではと考えがちですが、どうやら悪玉菌も免疫系で役立っていると言うことが最近分かってきました。となるとビフィズス菌の比率を上げてやることを考えればいいのです。



それにはビフィズス菌が増えやすいように食物繊維とオリゴ糖を食品として取り入れればいいのです。それでも足りないときは、ヨーグルトなどビフィズス菌の多い食品を続けて食べればいいのです。乳酸品が体質に合わない人は、日本人が昔から食べてきた乳酸菌食品である「粕漬け」を食べればいいのです。



腸内細菌が食品を分解

私たちが食べた食品は、胃酸や消化酵素だけで消化されているのではなく大半は腸内細菌が分解してくれ、分解されたものを栄養として腸壁から吸収しているのです。吸収された栄養がエネルギーとなり、身体を作ります。皮膚のコラーゲンもヒアルロン酸も先ずお腹で作られます。



腸内には500種の細菌が“住み込み”で働いています。肉の好きな菌、野菜の好きな菌、果物の好きな菌、みんなを育てるために出来るだけ多種の食品を食べて“育菌”をしましょう。



消化作業の終わった菌たちは、明日「うんこさん」として出てきます。いいうんこさんが出ればお腹の中は良好です。うんこさんは「便」と書きます。そう腸内細菌の「便り」なのです。


便秘気味の方はビフィズス菌をとりましょう!  1日30種類の食材を摂りましょう!
といういわれはここからもきているのですね 
顔12












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2010年01月21日

薔薇と共に



昨日頂いた薔薇を2人3脚に30本おすそ分け

あっちこっちにいけたり職員さんに差し上げました花束



風邪がすっかり良くなられたN様昼間の酸素が外れよかったですね 顔02




今年は風邪もひかず元気な97歳のY様






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Posted by 2人3脚 at 14:28Comments(0)2人3脚の日常

2010年01月21日

死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ集

認知症の人と家族の会






いま、介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けします。



吐き出す  

ー言葉に出せばきっと楽になるー




岸壁からダイブしようとした時
「イヤダ!」と言った母

                                       (神奈川県・女性・52歳)


私の実母はアルツハイマー病で平成15年、78歳でなくなりました。若い時は従軍看護婦として戦地にも行き、在宅で祖父を看取り、PTAやサークル活動など、とても積極的でたのもしい母でした。





そんな母が60代後半からだんだんと壊れていきました。隣で寝ている父が異変を感じて指摘しても、母はそれを認めることができず、やっと病院に行った時には「中期の後半」と言われ、父と私は、その時から計り知れない不安でいっぱいになりました。



徘徊が始まり、無事保護してくださった方へお礼の電話をかけるようになった頃から、父のジレンマが最高になりました。こんな生き恥をいつまでかくのだろう、という思いが強くなり、ある日、車に母を乗せ出かけて行きました。




後で聞きましたがその時、岸壁からダイブしようと思っていたそうです。いざという時、母が「イヤダ!」といったそうです。そのときの母の思いは、病気になっても生きたいという素直な思いだったと思います。



その後は母は車を嫌がり大変でしたが、介護保険が始まり、行政や他人に世話になることを恥と思わず、「助けてください」と声を上げることで、父も私も心の安定を取り戻しました。



母が亡くなってから5年になりますが、私は現在、介護者の心の支えになりたいという気持ちで、認知症サポーターをしています。あの時二人で逝ってしまっていたら、私は一生悔やみ続けるだけだったと思いますし、現在のような活動はできていなかったでしょう。あの時、父が踏みとどまってくれたおかげです。





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