ブログ引越ししました。(2011年12月5日) ≫ http://aisin.i-ra.jp/
2011年05月24日
ペットボトルのキャップを使った脳のトーレーニングとカレンダー
エコキャップが役立っています。
ペットボトルのキャップを使って文字探し。真剣です。
誰が早く完成できるかな・こちらでは共同作業です。
5月のカレンダーの塗り絵をしています。
色合いにも気を使って自分らしく・・・。
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2011年05月24日
ランチのお手伝い・小メロンがなんと100円早速漬物に
2011年05月24日
あいさつ上手は生き方上手・大晩年の底力
あいさつ上手は生き方上手
生活ワイド ノンフィクション作家 沖藤典子
認知症高齢者が住むグループホームを訪問した時のことです。女性ばかりで、ほとんどが90歳前後の方々ですが、皆さんニコニコしながら、あいさつに出てきてくださいました。お盆にお茶をのせ、「いらっしゃいませ。どうぞ」―そのしぐさ、手つきは、まさに一家の主婦そのもの。年齢を感じた穏かな雰囲気です。
「同じことを繰り返し言うようになっても、こういう社交能力は失われないんですよ」と、施設長が教えてくれました。「だから、認知症が理解されなくて、家族には悩みの種になるんですが」とも。でも、あいさつする力は、人間の能力の中でも最も大切なものではないでしょうか。あいさつをすればニコニコ出る、ニコニコのないあいさつなんて、炭酸のないソーダーのようなもの。
人間、いくつになってもニコニコ。他の何ができなくなっても病で同じことを100回繰り返すようになっても、あなたはりっぱなホモ・サピエンス(人間)。他の動物とは違うと言えますね。
ところが最近、あいさつ・ニコニコをしなくなった人が増えているような気がします。誰かが近づくと、ついっと顔を背ける、顔をしゃくるようにして口の中でモゴモゴ。「どうして声が出ないのよ!」「どうしてにっこりしないのよ。顔の筋肉がないのかい?」結構多いのが、失礼ながら中高年男性。この方々はよく、「最近の若いものはあいさつをしない」と言います。ですが、私の見る限りでは、自分があいさつされていないということに過ぎず、自分からはあいさつもニコリともしないのです。
中には、近所との付き合いを避けて、拒否する方もいます。あらゆる社会的な「縁」を絶って、援助の手も拒否してしまい、孤立しされる方も.“無縁”は“無援”を生みます。そうした“無援社会”は“無念な社会”ですね。だから福祉関係者は言います。「あいさつ上手は生き方上手」。人間、いくつになってもニコニコあいさつ。「大晩年」というのも、こんな小さな光景から始まるんですよね。
<ホーム長のつぶやき>
この記事を目にしたとき、同感だ!と思いました。2人3脚では毎朝笑顔で大きな声で挨拶から始まります。頭を下げながら女性は右腕を前で重ね、男性はまっすぐ手を下におろし「三井、住友、ビザカード」でお辞儀の角度と笑顔を作ります。笑いたくない人でも表情筋を働かせ、仕事モードになっていいただきます。こんなことやっていられないと思うかもしれませんが、認知症の人に関わる方は、表情筋を出せない方は不安を抱かせてしまうからです。ここは仕事の場だからです。私のささやかな接遇のこだわりです。
私の娘がまだ幼児だったころ、人見知りもせず、遠くの方から「こんにちは」と誰にでも挨拶をしていました。長女の孫もよく小さいときモノオジせず「こんにちは!」と挨拶していました。いま、高校1年生、少々声は小さくなっていますが。親子はよく似るものだと笑ってしまいましたが・・・・。最近一緒に住んでいる長男の孫も遠くから大きな声で「こんにちは!」近所のむっつりした男性のお年寄りもびっくり、つられて大きな声で「こんにちは」と思わずつられて出ていました。ずっと大人になっても続いてほしいなー。
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生活ワイド ノンフィクション作家 沖藤典子
認知症高齢者が住むグループホームを訪問した時のことです。女性ばかりで、ほとんどが90歳前後の方々ですが、皆さんニコニコしながら、あいさつに出てきてくださいました。お盆にお茶をのせ、「いらっしゃいませ。どうぞ」―そのしぐさ、手つきは、まさに一家の主婦そのもの。年齢を感じた穏かな雰囲気です。
「同じことを繰り返し言うようになっても、こういう社交能力は失われないんですよ」と、施設長が教えてくれました。「だから、認知症が理解されなくて、家族には悩みの種になるんですが」とも。でも、あいさつする力は、人間の能力の中でも最も大切なものではないでしょうか。あいさつをすればニコニコ出る、ニコニコのないあいさつなんて、炭酸のないソーダーのようなもの。
人間、いくつになってもニコニコ。他の何ができなくなっても病で同じことを100回繰り返すようになっても、あなたはりっぱなホモ・サピエンス(人間)。他の動物とは違うと言えますね。
ところが最近、あいさつ・ニコニコをしなくなった人が増えているような気がします。誰かが近づくと、ついっと顔を背ける、顔をしゃくるようにして口の中でモゴモゴ。「どうして声が出ないのよ!」「どうしてにっこりしないのよ。顔の筋肉がないのかい?」結構多いのが、失礼ながら中高年男性。この方々はよく、「最近の若いものはあいさつをしない」と言います。ですが、私の見る限りでは、自分があいさつされていないということに過ぎず、自分からはあいさつもニコリともしないのです。
中には、近所との付き合いを避けて、拒否する方もいます。あらゆる社会的な「縁」を絶って、援助の手も拒否してしまい、孤立しされる方も.“無縁”は“無援”を生みます。そうした“無援社会”は“無念な社会”ですね。だから福祉関係者は言います。「あいさつ上手は生き方上手」。人間、いくつになってもニコニコあいさつ。「大晩年」というのも、こんな小さな光景から始まるんですよね。
<ホーム長のつぶやき>
この記事を目にしたとき、同感だ!と思いました。2人3脚では毎朝笑顔で大きな声で挨拶から始まります。頭を下げながら女性は右腕を前で重ね、男性はまっすぐ手を下におろし「三井、住友、ビザカード」でお辞儀の角度と笑顔を作ります。笑いたくない人でも表情筋を働かせ、仕事モードになっていいただきます。こんなことやっていられないと思うかもしれませんが、認知症の人に関わる方は、表情筋を出せない方は不安を抱かせてしまうからです。ここは仕事の場だからです。私のささやかな接遇のこだわりです。
私の娘がまだ幼児だったころ、人見知りもせず、遠くの方から「こんにちは」と誰にでも挨拶をしていました。長女の孫もよく小さいときモノオジせず「こんにちは!」と挨拶していました。いま、高校1年生、少々声は小さくなっていますが。親子はよく似るものだと笑ってしまいましたが・・・・。最近一緒に住んでいる長男の孫も遠くから大きな声で「こんにちは!」近所のむっつりした男性のお年寄りもびっくり、つられて大きな声で「こんにちは」と思わずつられて出ていました。ずっと大人になっても続いてほしいなー。

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