ブログ引越ししました。(2011年12月5日) ≫ http://aisin.i-ra.jp/

スポンサーサイト


上記の広告は30日以上更新(記事投稿)のないブログに表示されています。  

Posted by スポンサーサイト at

2009年10月26日

風船バレーとハンドベルの練習



2人3脚では時々レクでハンドベル演奏します

各々パーツを決めてベルを鳴らします

















勢い あまって最後はバ~ンと割れてしまいました

この風船はたこの八ちゃんで~す


























にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい
にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ
  


Posted by 2人3脚 at 15:34Comments(6)2人3脚の日常

2009年10月26日

認知症を理解する パート8

認知症を理解する パート8
                               (認知症サポーター養成講座標準教材より)

7.認知症の人と接するときの心がまえ

「認知症の本人には自覚がない」は大きな間違い

認知症の症状に、最初に気づくのは本人です。物忘れによる失敗や、今まで苦もなく家事や仕事がうまくいかなくなるなどのことが徐々に多くなり、何となくおかしいと感じ始めます。とくに、認知症特有の言われても思い出せない物忘れが重なると、多くの人は何かが起こっているという不安を感じ始めます。しかし、ここから先は人それぞれです。



認知症を心配して抑うつ的になる人、そんなことは絶対ないと思うあまり、自分が忘れているのではなく、周囲の人が自分を陥れようとしているのだと妄想的になる人など。認知症になったのではないか、という不安は健康な人の想像を絶するものでしょう。認知症の人は何も分からないのではなく、誰よりも一番心配なのも、苦しいのも、悲しいのも本人です。


私は忘れていない!」に隠された悲しみ

現実には、少なからぬ認知症に人が、私は物忘れなんかない、病院なんかいく必要はない、と言い張り、家族を困らせています。早く診断をし、はっきりとした見通しを持って生活したい、本人を支えていきたいと願う家族にとって、本人のこうした頑なな否認は大きな困惑の元になります。



しかし、その他の事柄はまだまだ十分な理解力や判断力をもっているのに、自分の深刻なもの忘れに対してだけ、不自然なほど目をつぶる理由を考えて見ましょう。


こういう人でも、他の認知症の人のもの忘れが尋常でないということはすぐに分かります。つまり、私は忘れてなんかいない!という主張は、私が認知症だなんて!!というやり場のない怒りや悲しみ不安から、自分の心を守るための自衛反応なのです。


周囲の人が「認知症という病気になった人」の本当のこころを理解することは容易ではありませんが、認知症の人の隠された悲しみの表現であることを知っておくことは大切です。




こころのバリアフリーを


足の不自由な人は、杖や車椅子などの道具を使って自分の力で動こうとします。駅にはエレベーターの設置などバリアフリー化が進み、乗り降りがしやすくなってきています。また、手助けのいるときには援助を頼みます。


しかし、認知症の人は自分の障害を補う「杖」の使い方を覚えることができません。「杖」のつもりでメモを書いてもううまく思い出せず、何のことか分からなくなります。認知症の人への援助には、障害を理解し、さりげなく援助できる「人間杖」が必要です。

交通機関や店など町のあらゆるところで、温かく見守り、適切な援助をしてくれる人がいれば外出もでき、自分でやれることもずいぶん増えるでしょう。こころのバリアフリー社会をつくることが認知症サポーターの役割です。




かかわる人の心がまえ


認知症の問題は、介護問題だと考えるのはやめましょう。誰でも自分や家族が認知症になる可能性があります。。認知症という病気のことを理解したうえで、自分だったらどう生き抜くかということを考えなければ、認知症の人の支援は難しいのです。



健康な人の心情がさまざまであると同じように、認知症の人の心情もさまざまです。「認知症の人」がいるのではなく、私の友達のAさんが認知症になっただけです。友人としてすべきことは、認知症の障害を補いながら、今までどおり友達のAさんと付き合い続けることです。たまたま駅でまごまごしていたBさんは、認知症のために自動改札が通れられないらしい、だったら、ちょっと手助けして改札を通る手伝いをすればいい。さりげなく、自然に、それが一番の援助です








にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい
にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ