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2009年12月13日
ふじさんめっせ 家族で楽しむクリスマス
今日の午後ふじさんめっせへ孫のために手作りの紐リースを作りに

水野製紐所タミーの部屋のブースで教わりました。

思った以上にクリスマスツリーのかわいい紐のリースが
出来上がりました。

「親子の絆が深まるね」とタミーさんとおしゃべりしながら作成
タミーの部屋のお隣は富士宮市のシオンさん
ここでは松ボックリのかわいいツリー作り

ドライフラワーをボンドでつけtながら松かさツリーを作りました

外ではフリーマーケットで大賑わいでした
2009年12月13日
2009年京都の旅
京都へぶらりと日帰り旅行へ行ってきました。
大本山 東福寺 創建750年
一時座禅すれば、一時の仏なり
一日座禅すれば、一日の仏なり
一生座禅すれば、一生の仏なり
あまりにも紅葉がき れいなため
スライドショウをM-net富士校で作ってみました。
↑
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2009年12月13日
死なないで!殺さないで!生きよう!メッセージ
今介護でいちばんつらいあなたへ、思いとどまった介護者からの渾身のメッセージ集の中からお届けいたします。
超えるー乗り越えるほど自分が強くなるー
お母さん ごめんね ありがとう
(愛知県:女性34歳)
実母の異変に気づいたのは母が55歳、私が22歳のときでした。父と三人の娘たちは介護にはほとんど関与しませんでした。母も私も仕事を辞め、家に毎日いました。「なぜ私だけがみなくてはいけないのか。私の将来はどうなってしまうのか。これからは母どうなっていくのか。先が長いのにお金もない。どうやっていこう」と不安で毎日泣いていました。
徘徊したときは、私が母を刺し殺すより、川で流されて亡くなってくれたほうがいい。行方不明でそのままわからなくなってくれればいい。車にひかれて死んでもいい」とまで思っていました。
でも母は必死に生きていました。医者から散歩や日記をすすめられると毎日欠かさず行ないました。テレビや新聞で認知症のことが取り上げられるとメモを取り、実践していました。京都での国際会議にも一緒に行きました。病気に立ち向かって何とか治そうとしているようでした。失敗したり娘や人から怒られたりしても、不安で寂しい思いの中で母は一生懸命生きていました。
デイサービスやショートステイ、病院で、自分の思うように動かせてもらえなくても、食事介助で口の周りがカビカビになっても、文句を言えなかった母。胃ろうになり、寝たきりになって、痰の吸引が頻繁になっても、頑張って生きてくれた母。そんな母の姿を見て、生きることの大変さ、つらさを知り、それに負けない母を尊敬し、いとおしく思えました。
10年間、ずっと在宅で一緒に生きてきました。認知症になり、母も私もつらかった。理解できずに叩き合ったこともありました。一緒に泣いたり、怒ったり、笑ったり、喜んだりしました。それが介護であり、家族であり、日常生活であると思います。
それを教えてくれたのは母でした。
「おかあさんごめんね。ありがとう」
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